「数馬居合伝1・2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。「~居合伝1」は天寿を全うし、「~居合伝2」は令和に戻ります。

(4)猫侍

沢村雪之助は三毛猫を飼っている。浪人で長屋住まいである。猫が嫌いで、犬を飼ってみたくて犬を飼ったことがあったが、犬は二ヵ月足らずで死んだ。それでもう二度と猫は飼うまいと思っていたのだが、ある雨の日行き会った町娘が三毛猫の仔猫を抱いていた。それを見た途端、どうしてもその猫が欲しくなり、町娘に金をやって譲り受けたのである。三毛猫を飼うのはそのときが初めてであった。

この三毛猫に名はなかった。沢村雪之助の知り合いたちは、それぞれに適当な名前をつけて呼んでいたようであるが、沢村自身は、ただの猫と呼びつけていた。「三毛」と呼んでもみたし「ねこ」と呼びかけてもみた。しかし返事はしないので、名前をおぼえているかどうか怪しいものであった。

北添数馬は猫を懐に抱いた沢村を蕎麦屋で見かけた。数馬は猫が好きなので、声をかけてみた。

すると沢村は、いつもこういう返事をしていた。

「やあ、これは猫だ。名はない」

数馬は猫の頭を撫でてやった。猫は数馬の手の平に顔をすりつけた。

「沢村さんは猫が好きなんですか」

と数馬は言った。

「いや、嫌いなのだよ」

「でも可愛がってるようですが」

「これを可愛がるように見えるかね」

たしかに可愛がっているようには見えなかった。どちらかというと、持て余しているように見えたのだ。

「可愛がらないのに、飼っているんですか」

「なんとなくね」

「沢村さんの性格なら、猫など飼わない方がいい」

しかし沢村は首を振った。

「そうではないのだ。これはどうも病気でな」

数馬は懐に抱かれた三毛猫に目をやった。確かに元気がないように見えた。

「猫に病気があるんですか」

「あるのじゃないかねえ。これはね、労咳なのだよ」

労咳とは結核のことである。当時は不治の病とされていた。数馬はぞっとしたが、沢村は懐で背中を撫でてやっていた。

労咳も医者にかかれば治るでしょう」

数馬のその言葉に、沢村は首を振った。

労咳は医者にかかっても治らんのだ。それに金がかかって仕方ないよ」

「しかし、可愛がるわけでもないのに、養っているからにはお金はかかっているんでしょう」

沢村は懐で背中を撫でられている三毛猫を指さした。

「この猫を可愛がってくれる人はいないかね」

数馬は「それがしに譲ってくれないか?」と言った。

沢村はうなずいた。それで数馬は猫の飼い方などを聞いて、その日に三毛猫を貰い受けたのである。

 

数馬は猫を三毛子と呼んで可愛がった。

「なあ、三毛子や」

と話しかけるのだが、猫は答えない。沢村に言わせれば、それは病気のためだろうとのことだったが、はたして本当に労咳のせいなのかどうかはわからない。

ただいつも眠そうにしているのはたしかだった。あまり食べず、餌をやっても残すことが多かったのである。そのため数馬は時々麦飯を混ぜてやったり、煮干をやったりしていた。しかし、それでも病気は良くならなかった。

三毛子は数馬の袴がお気に入りのようだ。元気のないときも、袴をひらひらさせるとじゃれついてくる。胡坐をすれば、袴の上に乗ってくる。三毛子の暖かい感触が、袴から伝わってくる。三毛子も胡坐の数馬の袴の上が暖かいのだろう。

 

ある日、三毛子が血のようなものを吐いた。数馬が驚いて医者に連れて行ってやろうと言っても、猫は動こうとしなかった。それで数馬は手ぬぐいで猫をくるみ、そっと抱きかかえて医者に連れて行った。

労咳だね」

と医者は言い、痛み止めの薬を処方しただけだった。薬代は百二十文だった。

痛み止めでは治らないだろう。数馬がいた令和の時代なら治療薬があるのだが……百二十文で何か美味しいものを食べさせたほうが良かったのではないか。

そんなことを数馬は考えていると、猫がこちらを見上げていた。その目は笑っているように見えた。

それから数馬の家の戸を叩く者があった。沢村だった。

「やあ、三毛子はどうだい」

「死にました」

「そうか……可愛そうになあ……」

沢村はそう繰り返して三毛子の骨を受け取ったのである。そして「これは先生が持ってなされ」と言った。そして懐から紙包みを取り出して、数馬に渡した。

開けてみると、中には金が入っていた。

「これは……」

「もともとはそれがしの飼い猫ゆえ……」

金の入った紙包みを数馬は慌てて突き返そうとしたが、沢村は笑って受け取らなかった。

「では、いただきます」

沢村はうなずき、三毛子のために泣いてくれたのである。

沢村、数馬とも束の間の「猫侍」であった。数馬は北村一輝が演じるテレビ時代劇の「猫侍」のようにはならないものなのだなと思った。少しの間であったが、猫と暮らせたのは幸せであった。

 

 

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