「数馬居合伝1・2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。「~居合伝1」は天寿を全うし、「~居合伝2」は令和に戻ります。

(43)陸蒸気

明治五年十月十四日、新橋から横浜まで鉄道が開業した。北添数馬はさっそく乗りに出掛けようと思ったが、しばらくは混雑すると思われたので、半年後にした。

実は陸蒸気に乗りたいと言ってきたのは、山岡鉄舟なのである。

この頃、鉄舟は、西郷のたっての依頼により宮中に出仕し、侍従として明治天皇に仕えていた。天皇の世話役だ。

 

二人は新橋駅で待ち合わせをした。数馬のほうが先に到着し、鉄舟が馬車でやってきて、「やあやあ!」と声をかけてきた。

「山岡さん。陸蒸気は速いですよ。横浜まで半刻(はんとき・一時間)です」

令和の時代の東海道線は、東京から横浜まで30分ぐらいであるが、当時は画期的であった。

「山岡さん、陸蒸気には厠がありませんから」と、数馬と鉄舟は駅の便所で、袴をたくし上げて、並んで用を足した。さすがに刀は差していないが、袴は武士のステータスなので、まだこの二人はそういった姿なのである。

 

陸蒸気はすでに入線していて、さっそく車内に入る。座ると、鉄舟の足元には履物がない。

「山岡さん、履物はどうしたのですか?」

「部屋に入るときは…」

どうやらプラットホームに履物を脱いできたらしい。鉄舟は慌てて取りにいった。

鉄舟が車内に戻ってくると、やがて陸蒸気は汽笛を鳴らして発車した。

 

陸蒸気は海の上を走る。令和の時代に「高輪築堤」というのが発掘されて話題となった。当時の鉄道は海に築堤を建設し、その上を走っていた。東京モノレールのようなイメージである。

鉄舟は、

「蒸気の力はさすがだな。それにしても速い。目がまわりそうだ」

数馬としては、駕籠のように揺れるわけではないので助かっているが。

ただ、乗り心地は悪い。令和の時代のように台車に空気ばねを使用していない。レールのごつごつした感触が体に伝わってくる。貨車を改造した車両に乗ったことがあるが、その乗り心地に似ている。

 

郷川多摩川)を渡る。神奈川県に入った。

そこから横浜まではすぐである。

「山岡さん、まもなく横浜ですよ」

「えっ、もう着いたのか?」

鉄舟は窓に額を押しつけて、物思いにふけっていたらしい。

横浜駅を降りると、いきなり西洋の文化が待っていた。外人がたくさん歩いている。

二人は外国人居留地を目指すことにした。

鉄舟は洋食を食べたいと言う。老舗の洋食屋に入り、二人はビーフシチューとパンを注文した。

「山岡さん、こうやって食べると美味いですよ」と、数馬はパンをビーフシチューにつけた。

「ほほう」と鉄舟が真似をする。

「いやあ、うまかった! 実にうまかった!」

とにかく満足してくれたようだ。

「山岡さん、また陸蒸気に乗りたいときは言ってください」

「うむ。そのときはお願いする」

 

それから1か月ほど過ぎたが、また鉄舟が陸蒸気に乗りたいと言ったので、新橋駅で待ち合わせをした。前回は「下等」に乗ったので、今度は「上等」に乗りたいのだという。天皇の侍従なのに、どういう都合をつけてくるのだろう。ちなみに下等運賃は「約10kgの米」の値段と同じだった。

汽車賃は鉄舟が奢るという。すっかり陸蒸気が気に入ったようだ。日本の「鉄道マニア」第一号である。次回は「中等に乗ろう」と必ず言ってくるぞ。日本中に鉄道網が発達したら、全線制覇するぞ、山岡鉄舟先生は!

博物館明治村にて

 

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