明治五年十月十四日、新橋から横浜まで鉄道が開業した。北添数馬はさっそく乗りに出掛けようと思ったが、しばらくは混雑すると思われたので、半年後にした。
実は陸蒸気に乗りたいと言ってきたのは、山岡鉄舟なのである。
この頃、鉄舟は、西郷のたっての依頼により宮中に出仕し、侍従として明治天皇に仕えていた。天皇の世話役だ。
二人は新橋駅で待ち合わせをした。数馬のほうが先に到着し、鉄舟が馬車でやってきて、「やあやあ!」と声をかけてきた。
「山岡さん。陸蒸気は速いですよ。横浜まで半刻(はんとき・一時間)です」
令和の時代の東海道線は、東京から横浜まで30分ぐらいであるが、当時は画期的であった。
「山岡さん、陸蒸気には厠がありませんから」と、数馬と鉄舟は駅の便所で、袴をたくし上げて、並んで用を足した。さすがに刀は差していないが、袴は武士のステータスなので、まだこの二人はそういった姿なのである。
陸蒸気はすでに入線していて、さっそく車内に入る。座ると、鉄舟の足元には履物がない。
「山岡さん、履物はどうしたのですか?」
「部屋に入るときは…」
どうやらプラットホームに履物を脱いできたらしい。鉄舟は慌てて取りにいった。
鉄舟が車内に戻ってくると、やがて陸蒸気は汽笛を鳴らして発車した。
陸蒸気は海の上を走る。令和の時代に「高輪築堤」というのが発掘されて話題となった。当時の鉄道は海に築堤を建設し、その上を走っていた。東京モノレールのようなイメージである。
鉄舟は、
「蒸気の力はさすがだな。それにしても速い。目がまわりそうだ」
数馬としては、駕籠のように揺れるわけではないので助かっているが。
ただ、乗り心地は悪い。令和の時代のように台車に空気ばねを使用していない。レールのごつごつした感触が体に伝わってくる。貨車を改造した車両に乗ったことがあるが、その乗り心地に似ている。
そこから横浜まではすぐである。
「山岡さん、まもなく横浜ですよ」
「えっ、もう着いたのか?」
鉄舟は窓に額を押しつけて、物思いにふけっていたらしい。
横浜駅を降りると、いきなり西洋の文化が待っていた。外人がたくさん歩いている。
二人は外国人居留地を目指すことにした。
鉄舟は洋食を食べたいと言う。老舗の洋食屋に入り、二人はビーフシチューとパンを注文した。
「山岡さん、こうやって食べると美味いですよ」と、数馬はパンをビーフシチューにつけた。
「ほほう」と鉄舟が真似をする。
「いやあ、うまかった! 実にうまかった!」
とにかく満足してくれたようだ。
「山岡さん、また陸蒸気に乗りたいときは言ってください」
「うむ。そのときはお願いする」
それから1か月ほど過ぎたが、また鉄舟が陸蒸気に乗りたいと言ったので、新橋駅で待ち合わせをした。前回は「下等」に乗ったので、今度は「上等」に乗りたいのだという。天皇の侍従なのに、どういう都合をつけてくるのだろう。ちなみに下等運賃は「約10kgの米」の値段と同じだった。
汽車賃は鉄舟が奢るという。すっかり陸蒸気が気に入ったようだ。日本の「鉄道マニア」第一号である。次回は「中等に乗ろう」と必ず言ってくるぞ。日本中に鉄道網が発達したら、全線制覇するぞ、山岡鉄舟先生は!