「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(37)伊賀忍者、服部竹蔵

「ねえ、服部(はっとり)さん。忍術を教えてくださいよ~」

「ダメでござる」

「そこを何とか」

「ダメでござる」

「ちょっとだけ」

「ダメでござる!」

 

北添数馬が服部竹蔵に出会ったのは、麹町(こうじまち)にある「からくり忍者屋敷」である。忍者の見世物小屋である。そこの座長が伊賀の服部竹蔵だったのだ。

数馬は忍者に憧れていた。しかし、忍術の修行は並大抵のことではないと知っていた。そこで、服部竹蔵から忍術を伝授してもらおうと考えていたのである。

服部は五十歳くらいの男性だった。色白でほっそりとした体つきをしている。

「北添うじ、忍者になりたいと申されるが、命の危険もあるのでござるよ」

「かまいません。それに、忍術を会得できれば服部さんに恩返しもできると思います。ぜひ、お教えください」

数馬は真剣な表情で言った。

「そうでござるか……。北添うじがそこまで言われるのであれば、拙者も無下にはできぬでござるな」

こうして、数馬は服部竹蔵から忍術を教わることになったのである。

しかし、服部は忍術を教えることを渋っていた。

「服部さん、拙者に忍術を教えてくだされ」

数馬は頭を下げた。すると、服部竹蔵はため息をついた。

「北添うじの熱意には負けたでござる。しかし、本当に厳しい修行になるでござるよ。それでも良いのでござるか?」

「かまいません」

数馬は力強くうなずいた。

こうして、数馬と服部の修行が始まったのである。

それから、数馬は服部竹蔵から忍術を教わる日々が続いた。

服部は厳しい修行を課した。数馬が根を上げそうになると、服部は励ましの言葉をかけた。

「北添うじ、もう少しの辛抱でござる」

そして、数ヶ月が過ぎた頃、ついに数馬は服部竹蔵から認められた。

「よくぞここまで成長したでござるな、北添うじ」

「服部さん、ありがとうございます」

「あとは修行の成果を実戦で試すだけでござるよ」

「はい!」

こうして、数馬は服部竹蔵から一つの忍術を学び終えたのである。

数馬は服部竹蔵に感謝の言葉を述べた。

「服部さん、本当にありがとうございました」

「北添うじが頑張ったおかげでござるよ」

そして、服部竹蔵は次の興行先である尾張(おわり)へ旅立った。

「北添うじも頑張ってくだされ」

「はい!」

数馬は笑顔で答えた。

伊賀といえば、この方

 

(36)甲賀忍者、煙巻半助

煙巻半助(けむまきはんすけ)は甲賀の忍者である。甲賀は、伊賀と並び称される忍者集団であるが、その性格は正反対である。伊賀は「個」を大切にするのに対し、甲賀は「組織」を重んじ、徹底してそれを守ることに長けている。
そのためか、甲賀の忍びは金銭に執着する傾向がある。煙巻半助もそんな甲賀忍びの一人だ。彼の主な収入源が薬種商なのは言うまでもない。
甲賀には、独自の薬草園があり、さまざまな薬草を栽培している。それに加え、毒草や毒虫などの毒性の強い生物を利用したものも多い。そうしたものに精通した忍者も豊富に存在するのだ。

北添数馬が令和の時代で使っていた目薬は甲賀の製薬会社で製造されたものだった。ちなみに、忍者のことは「こうが」と言うが、地名や駅名は「こうか」である。

それはさておき、数馬が煙巻と知り合ったきっかけは、同心の鶴見源之丞が具合を悪くしたときだった。鶴見のために薬種問屋に行って薬を買ったとき、薬の服用や養生方法を書いた書物をもらったのだが、背表紙に「甲賀」と書いてあったのだ。数馬は、「ああ、甲賀は薬で有名なんだな」と思った。
数馬は、
甲賀といえば忍者ですよね」
と、店主に言った。すると、店主は煙巻半助という人物を教えてくれたのだ。
「煙巻さんなら、よく知っていますよ。うちのお得意さんです」
数馬は、その足で煙巻の店を訪ねた。
数馬は薬種問屋の主人にもらった書物を見せ、
「この書物に載っている薬を売ってほしいのですが」
と言った。すると、煙巻はこう答えた。
「薬の調合は、すべて店主が行います。私は、その手伝いをしているだけです」
「では、調合の仕方を教えてくれませんか?」
数馬がそう言うと、煙巻はこう答えた。
「お教えするのは簡単ですが、それでは商売になりません」
「しかし、私は薬を売って生活しているわけではありません。薬の作り方を知りたいだけなんです。ですから……」
数馬は食い下がったが、煙巻は首を縦に振らなかった。
短刀直入に聞いた。
「煙巻さん、その薬は、忍者のためにあるのでは?」
「!」
煙巻は、一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに平静を取り戻した。
「なぜそう思うのです?」
「薬の調合の仕方を秘密にするということは、それを使って何かをするからではないのですか?」
数馬は、さらに続けた。
「忍者は自分で薬を調合すると聞きます。植物についても詳しい…」
「ご名答です」
煙巻は、数馬の指摘をあっさりと認めた。
「しかし、煙巻さん。秘密は守りますよ」
数馬は身を乗り出した。
「私も薬を作ってみたいんです」
だが、煙巻は首を振った。
「それはできません」
「なぜですか?」
すると、煙巻はこう答えたのだ。
「忍者とは『影』です。光があって初めて『影』ができます。私は、薬を売るためにこの稼業をやっています。その信念を変えれば、私は『影』ではなくなってしまいます」
「そうですか……」
数馬はがっかりした。せっかく甲賀の忍者と知り合いになれたというのに……
しかし、煙巻はこう続けた。
「ですが、私が調合した薬を売っても構いませんよ」
「え? 本当ですか?」
「ただし、一つ条件があります」
「私が調合した薬は、すべて『ある人物』に売ってください」
数馬は、煙巻が妙なことを言い出したなと思った。
「なぜです?『ある人物』とは誰ですか?」
すると、煙巻は答えた。
「それは秘密です」
そして、こう言ったのだ。
「この条件をのんでいただければ、何種類か薬をお分けしますよ」
「……わかりました」
数馬は仕方なく承諾した。忍者に薬を融通してもらうなど、そうあることではないが、煙巻は腕利きの忍者だ。この薬の調合の仕方を覚えれば、自分で薬を作れるようになるかもしれない……
数馬は、その条件を飲むことにした。
「ありがとうございます」
煙巻は礼を言ったが、すぐにこう言ったのだ。
「『ある人物』とは、伊賀の服部孝蔵です」
数馬は、驚いて煙巻を見つめた。
「なぜですか?」
「理由を説明することはできません。影千代! あっちへ行っていろ」
「ニャリーン」
煙巻は飼っている黒猫を追い出した。

数馬は何だか嫌な予感がしてきた。もし毒薬だったら…
今回は断ったほうがいいな、自分から言い出したのだけど…… と数馬は思った。

煙巻氏はケムマキくんの先祖かも

 

(35)北風の紋三郎

北風の紋三郎は、上州無宿の侠客である。一膳飯屋でガツガツと食事をしている。
とろろ芋をご飯にかけ、メザシを放り込み、かき混ぜる。早飯である。侠客は命を狙われるので、そういう食べ方をしているようだ。

「ところで、旦那……」
紋三郎に声をかけたのは、板場から出てきたばかりのみよ吉である。
「ああ……なにかね」
紋三郎が顔をあげる。
「お代をいただきましょうか」
みよ吉は、右手で算盤を弾いた。
「あ、これはどうも……申しわけない」
紋三郎があわてて懐中から財布を取り出そうとしたとき、その財布が宙を飛んだかと思うと、店の天井に当たって、同じく食事をしている北添数馬のところに落ちてきた。
「ほら、財布」
と、数馬は紋三郎に財布を手渡した。
「御浪人さん、ありがとうございやす。あっしは、上州無宿の紋三郎」
「私は、北添数馬と申します」
「紋三郎さん、これからどちらへ?」
「板橋宿の亀五郎親分の賭場へ」
「私も江戸へ向かうところです。ご一緒してもいいですか?」
「あっしとは関わり合いにならないほうが、ようござんすよ。ロクなことがない」
「賭場で遊んでみたいのです」
「なら、一緒に行こう」

二人は桶川(おけがわ)宿を出た。
紋三郎は「道中がっぱ」に「三度笠」。それに長い楊枝を咥(くわ)えている。
やがて人の往来がないところに来た。
二人の武士が現れ、
「紋三郎だな、きょうこそ決着だ。その三一(※さんぴん・欄外参照)も始末してやる!」
「ほら、北添さん、ロクなことがない」
数馬は鯉口を切った。紋三郎は、道中差を抜いた。
道中差とは、旅人の護身用の脇差である。刀は武士しか差せないのだが、旅行者は庶民でも脇差を差すことが許されていた。ただ、被差別階級は差せなかった。

一人の武士が紋三郎に斬りかかってきた。紋三郎はうまくかわし、心の臓を一突きした。
数馬は刀を抜いた勢いで、もう一人の顔面に太刀を浴びせた。

「北添さんは、居合か」
「紋三郎さんも強いな!」
「剣は我流で覚えた。北添さんの流派を聞きたい」
夢想神伝流です。最近できた流派です」

板橋宿の亀五郎親分のところへ着いた。

「お控えなすって」

紋三郎が仁義を切る。
亀五郎親分が「手前、控えさせていただきます」

「さっそくのお控え、ありがとうござんす。手前、生まれも育ちも上州、吾妻(あがつま)です。渡世上故あって、親、一家持ちません。カケダシの身もちまして、一々高声に発します仁義失礼さんです。名は紋三郎、人呼んで北風の紋三郎と発します。西に行きましても東に行きましてもとかく土地土地のおあ兄さんおあ姐さんにご厄介をかけがちたる若僧です。以後面体お見しりおかれまして、恐惶万端(きょうこうばんたん)引き立って、よろしく、おたの申します」

「ご丁寧なるお言葉、ありがとうございます。手前…」
と、亀五郎の仁義が始まる。
仁義のときは、目線を外さないこと、である。

亀五郎は「こちらの方は?」と、数馬のことを聞く。
紋三郎は「あっしの子分で、北添数馬さん。博打をやりたいそうで」
亀五郎は、賭場に案内してくれた。

使うのはツボと二つのサイコロである。

・ツボ振り役がサイコロ2つをツボに投げ入れ振る
・盆に伏せる
・参加者は、サイコロの出目の合計が偶数(丁)か奇数(半)になるかを予想して、丁半どちらかに賭ける!

数馬は「半!」と言って、半に賭けたが、
「ピンゾロの丁!(1+1=2)」と、出て、あっけなく負けてしまった。
今度は「丁」に賭けた。
「シソウの半(4+3=7)」と、出て、これまた負けてしまった。


※一膳飯屋 飯や惣菜で手軽に食事をさせる店。
※三一(さんぴん)《1年間の扶持が3両1分であったところから》身分の低い武士を卑しんでいう語。

 

↓北風の寒太郎。道中差を差しています。

GWはお休みします&予定

ブログをお読みいただき、ありがとうございます。
GWはお休みします。
4月27日(土)~5月6日(月)

今後の掲載予定は以下のとおりですが、話数が増えるかもしれません。

4/24(35)北風の紋三郎
4/25(36)甲賀忍者、煙巻半助
4/26(37)伊賀忍者、服部竹蔵
5/7(38)暗闇
(39)暴れ医者、菊川源十郎
(40)剣術指南役を断る
(41)門弟の腹痛が…
(42)大雪
(43)花見
(44)湊の文七
(45)くず餅と川崎大師
(46)女大学の講師
(47)線香花火大会
(48)親友の死
(49)浪士組、京へ
(50)芹沢鴨
(51)三毛猫
(52)士道不覚悟
(53)チャンバラごっこ
(54)沖田総司と木刀で稽古
(55)鳥羽・伏見の戦い、そして令和へ
あとがき

 

どうぞ宜しくお願いします。     北添数馬

(34)居合の道場です。

『~居合伝』という題なのに、肝心の居合が全然出てこない… ということで、普段の稽古の様子を少し……

まず、夢想神伝流の「初発刀(しょはっとう」を、これは毎回最初にやる。
正座した状態から、相手のこめかみに抜き付け、さらに真っ向から斬り下ろす。というものである。居合道の基本かつ奥義の技である。

まず、こめかみに抜き付ける。
「駒吉さん、和助さん、腕が高すぎます。もう少し下げて」
「はい!」
続けて、真っ向から斬り下ろす。これは全員できている。
次に立ち上がりながら血振りをする。
「猪谷さん、真鍋さん、紋太郎さん、立ち上がったときは両足が富士山のようになるように。後ろの膝が曲がっています。ひかがみ(膝の裏)を伸ばすようにして」
「はい!」
「足を踏み替えて納刀です。納刀したと同時に膝を床に着きます」
「はい!」
「今度は私は何も言わないから、もう一度やりましょう」
「はい!」

全員がやったところで、個別に指導する。
「できないからといって諦めないでください。すぐにできないのは私も同じです。そこは分かっていますから、質問も遠慮なくぶつけてください」
「先生、何を質問したらいいか、分からないのです」
「私もそうでした。先生に“質問は?”と聞かれて“おっしゃられたことをやるのが精一杯です”と、師匠には答えました」

「居合って難しいでしょう」と数馬は言う。
全員「難しいです!」と言う。

「次に“顔面当て”です」

前後に二人の敵がいる。正面の敵の顔に柄頭を激しく当て、後ろの敵の水月を刺し、さらに正面の敵を真っ向から斬る。

これに関しては問題ないようだ。全員できた。

「注意点です。正面の敵に柄頭を当てるとき、気を付けないと、刀が鞘ごと体からすぽっと抜けてしまいます。そして、鞘を戻すときに、袴の中に鞘が入ってしまうことがあります」と、失敗例を実演する。
数馬は数々の失敗をして良かったと思う。こうやって門弟に失敗を説明できるのである。
納刀に失敗して、ぽろりと刀が落ちてしまったら、血振りの姿勢からやり直す、といったことも、門弟たちに教えた。

ほとんどの道場がそうであると思うが、まず形をひととおり覚えさせて、細かいことは稽古の過程で修正していく。
クルマの運転と同じである。ひととおり運転技術を覚えたところで「仮免許」。そして路上教習。免許を取得してからも実際の交通状況を学んでいく。
実際、数馬の前師匠はひととおり形を覚えたところで「仮免ね」と言っていた。

「先生! 顔に汗が流れるので、拭いていいですか?」
と門弟が言う。夏場は特に大変である。
「はい、いいですよ」と門弟に言う。他の門弟たちがそれに続く。
夏場は水分補給に竹筒に水を入れて持ってこさせる。ほとんどの門弟が顔を拭いた合間に水を飲んでいるようである。

「みなさん、いいですか。居合の修行の目的は「鞘のうちに勝ちを秘め、刀を抜かずして敵を制することが出来る程の武徳を養う」ことにあります。 したがって、他人を攻撃し、殺めることが目的ではなく、信義を尊び、礼節を重んじ、秩序を保つことで、戦わずして彼我共に相和し、もって広く人類の平和と繁栄に寄与することが究極の目的であります。そして、心掛けるのは「常在戦場」です。つまり武士の心得を磨いているのです」

「はい!」

筆者は右奥にいます

 

(33)続・お化け屋敷

両国のお化け屋敷で、不可解な事件が起きているという。
女性四人でお化け屋敷に行って、出てきたら、三人しかいないという。
似たようなことが、三回起きているという。行方不明事件である。
奉行所に届け出があったとのことで、鶴見源之丞が数馬に話を持ってきた。
「北添さん、お化け屋敷に一緒に行った仲です。ぜひご協力を」
「また、お化け屋敷に行くのですか、もう御免だなあ……」
「そこを曲げて!」
“曲げて”とは、武士が使う言葉で、無理を承知で頼むときに使う。風邪の時はみかんを持ってきてくれたから、そのご恩返しをするか、と、数馬は思い、
「分かりました」と承諾した。

お化け屋敷の営業時間外に鶴見と出向き、鶴見が、
「ここで行方不明になっている女がいる。中を改めたい」
と、お化け屋敷の座長に話した。座長は、
「どうぞ、ご案内します」
と、中を案内してくれた。
鶴見は念入りに調べていたようだが、特に変わった様子はない。物置小屋を見せてもらったが、お化けの道具が出てきただけである。
いろいろなお化けが陳列されていて、数馬は思わず「うわっ!」と言った。
座長が、
「これで全てです。物置小屋も見ていただきましたし、特に変わったことはないかと」
鶴見も、
「う~ん、何だろうな。特に変わったことはないな……」
と、鶴見はあまり納得していないといった感じで言った。
「北添さん、どう思う?」
「ううん。全て見せたと言っているけど、何か隠していますね」
「やっぱり北添さんもそう思うか」
「はい、一度見ただけではダメです。何度か見ないと……」
「そうだな。もう一度つきあってくれるかい?」
「またですか」
「そこを、曲げて!」

鶴見と数馬は、翌日もう一度、お化け屋敷に行った。
座長に中を見せてもらう。
「ほら、何もないでしょう」
と座長は言う。
しかし、造られた竹藪の奥から人の声が聞こえたような気がした。竹藪に通じる道に、御守り袋が落ちていた。
数人がそこに隠されているとなると、鶴見と数馬だけでは救出できない。
いったん出口まで行った。
「北添さん、私は奉行所に戻って、これを報告して、お奉行と作戦を練ります」
「そうしたほうがいいですね。二人だけでは……」

これは鶴見から聞いた話だが、その二日後に同心二十人で、行方不明者を全員救出したそうである。竹藪の奥に、もう一つ小屋があって、そこに女性たちが閉じ込められていたという。
奉行所では、座長を捕縛し、吟味をするという。

(32)お化け屋敷

両国(りょうごく)にお化け屋敷があるという。北添道場の門弟が、「先生、一緒に行きましょうよ」と誘ってきた。
数馬は、お化けとか幽霊といった類は苦手である。たとえ作り物といえ、好き好んで見る人など、いないであろう。「♪おばけなんてないさ、おばけなんてうそさ」という歌を思い出した。
道場の門弟たちが、「先生も是非、お化け屋敷、行きましょう」と言う。
魂胆は丸見えである。お化けを怖がっている北添数馬を見たいのだ。

数馬は、仕方なく門弟たちと一緒にお化け屋敷に向かった。
お化け屋敷に入っていった門弟たちは、悲鳴をあげながら戻ってきた。「だから言わんことではない」と数馬は言った。
中に入ると真っ暗だ。「先生、手をつないでください」と若い門弟が言ってきた。
「いや、いい」
「そんなこと言わないでくださいよ。お願いしますよ」
「いや、いいって」
「そこを何とか」
結局、数馬は手をつながされてしまった。お化け屋敷の中で数馬が聞いた悲鳴は、門弟たちのものだけである。
ようやく外に出たら、雨になっていた。「先生、おかげさまで楽しかったです」と若い門弟たちは言った。
「先生。また行きましょうね」と言ってくるのを、数馬は「もう絶対行かん」と、きっぱり言った。

その夜、数馬は寝床に入って寝ようとした。ところがなかなか眠れない。
「そうか。あのお化け屋敷で、また怖い夢を見てしまったら困る」と思ったからだ。
数馬は、布団を頭からかぶった。そして目をつぶった。しかし、やはり眠れない。
「そうだ」と思いついて、起き上がると、机に向かった。そして筆を取った。
数馬が書いたのは、次のような文章である。
「北添数馬が記す。このところ毎晩同じ夢を見てしまう。それも怖い夢で、汗びっしょりとなって目覚めてしまう。おかげで寝不足である。何とかしていただきたい」
数馬は、それを墨痕鮮やかにしたためると、紙を小さく畳み、枕元に置いた。
「これでよし」
しかし、朝になってみると、例の文章は消えていた。
数馬は自分の文章が消失したことよりも、あの悪夢をまた見なければならないのかと思い、憂鬱な気分になった。

お化け屋敷のことを、同心の鶴見源之丞に話した。
「北添さん、非番のとき、一緒に行ってみよう」
と鶴見は言った。数馬は内心「また行かなければいけないのか……!」と思った。

お化け屋敷の中に鶴見と入る。鶴見は、
「ろくろ首とか、一つ目小僧とか、定番ではないか!」と言っていたが…
暗闇の中で、数馬の手に、急に暖かいものに握られた。
何かと思ったら…… 鶴見が数馬の手を握っているのだった。しかもかなり汗をかいている。鶴見の握力がだんだん強くなっていく……
明るいところに出たら、鶴見の顔が赤かった。鶴見は、何かまずい物を触ったといった感じで、数馬の手を払いのけた。

おばけなんてないさ