「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(10)花見

桜が満開の季節になった。数馬は剣術の稽古仲間と飛鳥山に花見に行くことになった。そう、数馬は居合だけではなく「剣術」も修行をはじめた。いったん道場で待ち合わせをして、五人で花見の場所へ向かう。弁当と酒はそれぞれが持参だ。
飛鳥山は花見の名所ということもあって、けっこう混んでいた。
飛鳥山が桜の名所になったのは吉宗の頃である。江戸城の吹上にて育てられた苗木が飛鳥山に植えられた。翌年にはさらに千本以上の桜が植えられた。“暴れん坊将軍”は、小石川養生所を設立したり、こうやって花見の場所を作ったり、庶民の味方の将軍であった。

さっそく花見だ。酒を飲んで、弁当を食べ、ほろ酔いになってきた。仲間が、「数馬! 居合をやれ~!」と言う。仲間の中で居合ができるのは、じつは数馬しかいない。数馬が出入りしている剣術道場は、竹刀稽古と木刀である。
数馬は立って刀礼をし、立ち技を五本やった。
仲間から拍手喝さいだ。
「スゲ~!」と、さっきから妙に静かだった半井良之助(なからいよしのしけ)が言った。「すごくかっこいいぞ」
また数馬は顔が熱くなった。
花見も一段落してから、皆でまた酒を飲んだ。良之助が酔っぱらって踊りだした。この春に美女と評判のさよを嫁にもらったので、良之助は有頂天になっているのだ。

数馬の長屋に良之助が来ることになった。数馬は喜んで迎え入れる。
良之助は桜餅を持参していた。桜の葉で包んだ餅だ。「食べてみろ」と、数馬に言った。
「ん? 何だ?」
数馬は不思議そうに桜餅を食べていた。すると、どうしたことか急に眠気が襲ってきたのである。
「よくぞ食べた」
良之助が言ったような気がした。いや、それは気のせいなんかではなかった。たしかに良之助が言うのを耳にしたのだ! 意識を失ったのは一瞬だったと思う。良之助が桜餅の葉っぱをひらひらさせながら、数馬の顔を覗きこんでいた。
「数馬。食べたな」
「く、食うか! 貴様、何を食わせたんだ!」
すると良之助は目を細めて微笑んだ。「御前様には内緒だぜ」
「きっさま!」と怒鳴る前に、今度は睡魔に襲われた。眠りこんでしまったのだ……。
目が覚めた時はもう夜だった。雲が出ていて月明かりもない真っ暗な夜だ。長屋に人の気配がない。隣室で寝ているはずの半井良之助もいなかった。
「ど、泥棒っ!」
あわてて跳ね起きて、刀を握った。
「動くな!」
いきなり声がした。闇の中に槍が白く浮かんで見える。その槍を目で追った瞬間だ、突然目の前に顔が飛び出してきたかと思うと、何かが数馬の口に押しつけられたのだ。それは手ぬぐいだと分かった。それから鼻にも押し付けられたので息ができなくなった……。数馬は苦しくなってもがいた……。
そんな時でもないのに夢を見た。夢の中でも数馬は死に物狂いで暴れた。しかし、なにしろ息ができないのだ。夢を見ているはずなのに、苦しくなると本当に苦しいのだ……。
ようやく手ぬぐいが口から離れた。やっと息ができるようになったものの、体が勝手にガタガタ震えはじめた……。
何が起きているのかまったく分からない。いや、だいたいのことはわかるような気はしたのだが、そんな馬鹿なことがあるはずがないと否定していたのかもしれない。とにかく生きた心地はしなかった。

「数馬、おれだ」
その声に数馬は顔を上げた。良之助が槍を構えて立っていたのだ。
「貴様! どういうつもりだ!」
「まあ、落ち着けよ」と良之助は言ってから言った。「いいか数馬、これはおまえが望んだことだ」
「ばかな!」と数馬は怒鳴った。しかし、なぜか体が動かなかった。その隙に良之助は部屋の戸を閉めた。そしてまた槍を構える。殺気を感じたので身構えようとしたのだが体が動かなかった。
「おとなしくしていれば、殺さずにすむ」
良之助は槍の穂先を数馬の喉元に近づけた。数馬は脂汗を流した。
「おまえは命が惜しくないのか?」と、良之助は真顔で言った。
「いいわけがないだろう!」と数馬は言ったものの、それは本心から出た言葉ではなかった……。いや本心から出た言葉だったかもしれないが、それがそのまま口を突いて出たわけではないのだ……。
「ならば生きたいと思え」
今度は良之助の槍が数馬の鼻先に突きつけられた。
「た、頼むから殺さないでくれ」
数馬が懇願すると、良之助は槍を引いた。しかしまだ殺気を感じる……。
数馬は刀の鯉口を切った。
しかし、これは脅しのつもりで抜いたのである。良之助が「よせ」と、槍の穂先を数馬の顔の寸前で止めた。
「ほう! 刃筋はいいな」と良之助は言った。「居合をやるだけのことはある。どうだ、数馬も刀でひと勝負してみないか?」
「なに!?」
「おれはおまえを殺す気はないから安心しろ。もしおまえが負けたら、しばらくここで暮らしてもらおう。つまり人質だ。おまえは自分の命が惜しくて、おれの命令に従うわけだ。そのほうがおまえのためにもなるぞ」
「人質だと!?」
「そうだ。ただし、おまえが勝ったら逃がしてやる」
「わかった! 勝負だ!」と数馬は怒鳴ったが、ほんとうは何を言われているのかまったく理解できていなかった。いや、理解したくなかったのだ……。数馬は刀を中段に構えた。良之助は槍を低く持っているので穂先が床にすれそうに見えた。あの槍が自分の首めがけて襲いかかってくるのかと思うと、身がすくんだ。
「いくぞ!」
良之助は槍を繰り出してきた! 速い!
「うわっ!」と叫びながら数馬はかわした。そして飛び退くように部屋の戸口まで逃げた。しかし、体が思うように動かない! いきなり良之助がまた襲いかかってきた。今度は横殴りである。刃先が数馬の鼻の先を通過したとたん、鼻先に痛みが走った……。斬られたと思った瞬間だ。思わず「痛い!」と、数馬は叫んでいた。
そのとたん、良之助が槍を引いてくれたので助かった……。
数馬は刀を構えたまま泣いていた。あまりに理不尽なことが次から次へと起きすぎていて、すっかり動転してしまったのだ。良之助はそんな数馬を哀れむような目で見ていた。いや違う! 哀れみなんてものじゃない……。ただ見ているのだ! さもおかしそうに見ているのだ! しかしそれは気のせいだろう……。自分の恐怖心が妄想をかきたてているだけだ……。数馬は刀を下段に構えた。
「数馬、無駄だ。勝てっこない」と、良之助は言った。「おとなしくしていたら命までは取らん」
数馬は刀をいったん納め、良之助を睨みつけていた。まだ体が震えている……。だが、ここに突っ立っているわけにはいかない!
「うおおー!」と叫びながら、やみくもに飛び込み、刀を鞘ごと抜き出して、良之助の顔面に柄頭をぶち当てた。良之助は怯んだ。その隙に抜刀し、数馬は良之助の水月を思いきり突き刺した。