「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

2024-01-01から1ヶ月間の記事一覧

(26)萩と名物少年

長州藩士の桂小五郎(後の木戸孝允)が、所用があって萩に帰るという。「北添さん、萩には面白い少年がいますよ。剣を直角に斬るのです」何が何だかよく分からない数馬だったが、萩を案内してくれるとのことで、小五郎について行くことにした。 江戸から萩ま…

(25)大道芸にチャレンジ!

口入屋の仕事だけでは、不安定である。長期に仕事にありつければいいが、単発の仕事ばかりだと、仕事のない日が出来てしまう。他に何かないか… と、思いついたのが大道芸である。数馬ができそうなのは二つ。「叩かれ屋」「蝦蟇(がま)の油売り」 まず、叩か…

(24)朝顔を育てる武士

数馬の長屋にはいろいろな住人がいる。令和の賃貸アパートもそうであるが…数馬の隣の住人は弘前(ひろさき)藩の下級武士で、平井源之進という。朝顔を丹念に育てている。もちろん種を植えるところから始まり、頃合いを見計らって細い竹の棒を立て、それに朝…

(23)会津へ行った

北添数馬は会津が大好きである。飯盛山の白虎隊墓所、会津武家屋敷、鶴ヶ城は外せないポイントだ。 居酒屋で飲んでいて、町野正太という会津藩士と友達になった。近々会津に帰るが、数馬を会津に連れて行ってくれるという。数馬は喜んで承諾した。 下野(し…

(22)どんがら汁

北添数馬は海坂(うなさか)藩へ出かけた。令和で言えば山形県の庄内地域である。「どんがら汁」を食べたかった。それだけである。 数馬は日本海沿いの街道を北上していた。念珠関(ねずがせき・鼠ヶ関)の関所で通行手形を見せようとしたが…無い! 困った……

(21)令和に行った二見虎三郎

北添数馬は、旅の途上、越後長岡藩に立ち寄った。長岡藩は北越戦争(戊辰戦争のひとつ)の動乱に巻き込まれるが、まだその前である。 数馬は困ったことになった。旅籠に泊まったのだが、前日は何ともなかったのに、翌日になったら雪がうず高く積もっていたの…

(20)本当にいた「伊武谷万二郎」

数馬は考え事をして歩いていた。このまま江戸時代に居るのだろうか。令和の時代に妻子を残して…そこへ、ある武士とぶつかってしまった。「おぬし、ぶつかっておいて… それがしは常陸府中藩士、伊武谷万二郎。おぬしは?」「北添数馬と申します。考え事をして…

(19)黒田武士

福岡藩士の佐々木和之介は、江戸の福岡藩上屋敷で暇そうに寝ころんでいた。北添数馬は彼に用事があって、上屋敷を訪ねた。数馬も暇を持て余している一人だった。佐々木と親しい間柄ではなかったが、いつしか親しく口をきくようになっていた。数馬は、「佐々…

(18)本を作る武士

剣術道場の稽古仲間、田原寛通(たわらひろみち)は備中(びっちゅう)松山藩士である。彼の出身を知った数馬は「備中松山といえば、山田方谷(やまだほうこく)先生ですね!」と言うと、目を輝かせて、「よくご存じですね、北添さん。私、方谷先生の門下生…

(17)刀の衝動買い

数馬は大小を差しているが、刀屋の店頭で即売をやっていると、つい見てしまう。即売であるから、値段がついている。鑑賞してもよいが、それは刀剣店の目的ではない。 居合をやっているのは武士の嗜みであるので、刀そのものにさほど興味はなかった。であるか…

(16)毒見役

数馬は中学生の頃、淡水魚を飼っていた。金魚はもちろんなのだが、タナゴやクチボソ、テナガエビも一緒だ。ある日、ブラックバスを釣ってきて、その水槽に入れたら、テナガエビはもちろんのこと、魚が激減… 金魚の飼育は武士の副業であったという。いいです…

(15)大川の花火

江戸時代、隅田川のことを「大川」といっていた。時代劇で「大川で土左衛門が!」となれば、隅田川で水死体が!ということだ。 夏の隅田川といえば「隅田川花火大会」である。徳川吉宗の頃の「両国川開き花火大会」が起源とされる。数馬は「花火ライナー」と…

(14)剣術指南役

岡部藩では剣術指南役を探していた。石高は一万石。武蔵の国の小藩である。その剣術指南役について数馬に打診があった。小石川養生所の榊原医師の口添えがあったらしい。「浪人」状態の数馬は、その話に飛びついた。しかし欠点がある。数馬は居合しかできな…

(13)ろ組の用心棒

数馬は、きょうも口入屋に足を運んだ。「北添様、いい仕事がありますよ。これは北添様に是非にと思い、とっておきました。町火消の用心棒です」「それは面白そうだな」「気に入っていただけて、何よりです。しかも、いつもと違って、長いお仕事です」口入屋…

(12)算盤

数馬は珠算二級である。数馬が二級を取得した頃はそれで銀行に就職ができた。国鉄の窓口でも算盤が活躍していた。窓口の係員はパチパチと珠をはじき、切符と釣銭をよこした。数馬が就職する頃は、もう既に算盤は廃れ、「エクセル」という表計算ソフトが活躍…

(11)大雪

江戸時代は寒冷で、「小氷期」と呼ばれる気候であった。忠臣蔵も桜田門外の変でも大雪だ。浮世絵を見ても、雪景色が多い。インターネットで画像を検索すると出てくる。令和の時代では1センチ積もっただけでも転倒者が続出し、数馬も大雪警報が出ると、心配…

(10)花見

桜が満開の季節になった。数馬は剣術の稽古仲間と飛鳥山に花見に行くことになった。そう、数馬は居合だけではなく「剣術」も修行をはじめた。いったん道場で待ち合わせをして、五人で花見の場所へ向かう。弁当と酒はそれぞれが持参だ。飛鳥山は花見の名所と…

(9)続・口入屋

『回天詩史』(藤田東湖) 口入屋の主人が言う。「こういう稼業はいろいろありましてな。ごろつき浪人みたいな連中も来ます。北添様、お給金はお任せください。しばらく用心棒をお願いしたいのです」数馬は喜んで引き受けた。令和の人材派遣会社は、けっこう…

(8)口入屋(くちいれや)

数馬は江戸時代にやってきて、どうやって生活していたかというと、口入屋で仕事を紹介してもらっていた。口入屋とは、令和の時代の「人材派遣会社」である。一日という単発的な仕事もあれば、三か月から半年という長期の仕事もある。これは江戸時代も令和の…

(7)火盗改(かとうあらため)異聞

木村忠吾は火付盗賊改方の同心で、長谷川平蔵、いわゆる「鬼平」の部下である。うさぎ饅頭に似ていることから「うさぎ」「うさ忠」と呼ばれている。ある日、鬼平が剣術の稽古をつけてくれることになった。懸命に木刀を打ち込む忠吾。鬼平は「お、ウサギが子…

(6)「剣客商売」そっくり家族

池波正太郎の『剣客商売』は、老中・田沼意次の時代である。秋山小兵衛と息子の大治郎、小兵衛の女房おはるが登場する。秋山小兵衛と大治郎は無外流である。数馬がいた令和の時代にも無外流はある。調べてみると様々な団体があり、あまり統一感を感じられな…

(5)蕎麦を食べたい外国人

外国人警護の侍 ベアト撮影 どうしたことか、北添数馬のところに外国人を警護して欲しいという依頼が来た。何でも、普段の警護役は風邪で調子が悪く、もう三日も寝ているとのこと。数馬は条件をつけた。「カタコトでもいいから日本語が通じること」 数馬は外…

(4)猫侍

沢村雪之助は三毛猫を飼っている。浪人で長屋住まいである。猫が嫌いで、犬を飼ってみたくて犬を飼ったことがあったが、犬は二ヵ月足らずで死んだ。それでもう二度と猫は飼うまいと思っていたのだが、ある雨の日行き会った町娘が三毛猫の仔猫を抱いていた。…

(3)山野の罠

山野金之助は北添数馬のことが好きになったようだ。鵜飼道場で誘われたときから怪しいと数馬は思っていたのだが…… 同性が好きになることは珍しいことではない。左利きの人がいるように、一定の割合で存在するのだと聞く。病気ではないので治るものではない。…

(2)鵜飼道場

数馬が治療をした鵜飼孫六は、鵜飼道場の師範であった。五十歳ぐらいの小柄で頑強そうな武士である。鵜飼が数馬のことを門人に紹介する。「こちら、北添数馬どのだ。私を治療した恩人だ。みんな宜しく頼む」十人ほどの門弟が「応!」と応える。師範代が、「…

(1)小石川養生所

北添数馬は居合道を習っている。いま三段で、四段の試験を控えている。流派は夢想神伝流。全日本剣道連盟に所属している。きょうも稽古があり、黒い居合道着に刀を担ぎ、自転車で道場に向かっていた。 交差点にさしかかったところだった。クルマが左から飛び…