「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(8)口入屋(くちいれや)

数馬は江戸時代にやってきて、どうやって生活していたかというと、口入屋で仕事を紹介してもらっていた。口入屋とは、令和の時代の「人材派遣会社」である。一日という単発的な仕事もあれば、三か月から半年という長期の仕事もある。これは江戸時代も令和の時代も変わらない。違うのはタイムシート(始業時刻と終業時刻を記入する用紙)がないぐらいである。
数馬は早く起きて口入屋に行く。口入屋も数馬のことは知っているから、「北添様、この仕事はいかがでしょう」と提案、紹介してくれる。
仕事の内容… 子守、用心棒、家事手伝い、普請場、大名行列の“エキストラ”、まあ、挙げるときりがない。

一番多いのが人足の“手伝い”だった。江戸の町は広い。そこを四六時中工事や普請のために人は歩けない。そこで人を雇うのだ。一日だけ、あるいは三日間など期限を区切って雇い入れるのである。
これはけっこう実入りがいい仕事だった。力仕事なので重労働ではあるが、給金が高いのである。三日間で令和の賃金にすると、数万から十数万ぐらいの稼ぎにはなるのだった。
当然、裏方の仕事が多いので目立つような仕事ではない。でも、数馬はこの仕事がけっこう好きだった。人足は十人ぐらいの集団で仕事をする。年齢も様々だし、話す機会も多い。
「北添さん」
そう声をかけてきたのは三十過ぎの男で、顔は知っていたが名前は知らなかった。
「あ、どうも」
「北添さんは、ずいぶん長く江戸にいますな」
「ええ」
「給金はいいし、力仕事だし……あと四日もいれば、十分金がたまりますね」
「ええ……まあ」
男はそこで少し声を潜めた。
「その金を何に使うんです?」
男はいかにも噂好きらしく、好奇心丸出しの目で数馬を見た。
「え……」
「ほら、北添さんの身なりは貧相でもないのに、お金が欲しいようだから……なにか別の目的があるんじゃないかと」
「……そんなことはありませんよ……」
数馬がそう答えると、男はいかにもがっかりしたようだった。数馬は不審に思った。
「そうかあ、そういうわけではないんですか……」
男はそれ以上は聞いてこなかったが、どうもこの男はただの噂好きだというだけではないような気がした。なにか自分が江戸にいること自体が不審に感じられるような……。
「……ところで、北添さん」
「はい」
「私と一緒に仕事をしませんか?私は家を持っていましてね……」
「えっ?」
「私が一人で住むのには広すぎる家なんですよ……だから、女房も持てなくてね」
男は妙に親しみを込めて、そう数馬に語った。
「……はあ……」
「女房のいない家で暮らすのも、寂しくてね。北添さんのような方に来ていただければと……」
数馬は思わず立ち止りそうになった。しかし男はそれに気付かず、一人で話を進めている。
「私は北添さんの人となりは分かっているつもりだし、北添さんも私の暮らしぶりはよく知っているでしょう」
「……」
「どうだい?」
数馬は呆然とした。この男は自分を妾にしようとしているのだ。
「いや、それはちょっと……」
数馬は強い口調で断った。だが、男はその口調に反発したのか、さらにしつこく迫ってくる。
「そんなあ……北添さんなら安心だし、なにより私はもう女房が欲しくはないし……」
そういいながらも男は強引に数馬を口説こうとしていた。この男は自分を妾にするだけでは気が済まないだろう。身請金や奉公費といった名目で金をむしりとろうとするだろう……そう思うとさすがに数馬もぞっとするのだった。
「北添さん、あんたなら女房がほしいだろう。そして私もあんたなら妾にしてやってもいいと……」
そう男が言い終えたとき、数馬はかっと頭が熱くなっていた。数馬は令和の時代に妻子を残したままだ。
男は最後まで言うことはできなかった。数馬が男の顔を殴りつけたのだ。
男はのけぞるように倒れると、両手で顔を覆った。指の間から血が噴き出している。それを見て、通行人がぎょっとなり立ち止るのが見えた。男は逃げていった。

数馬は気をとりなおして、口入屋の主人に仕事がないか聞いた。
「北添さま、これはいかがでしょう。剣術道場の稽古相手」
「それはいい。是非とも」
「それでは、こちらへ……」
きょうは剣術道場の稽古相手として働くことになった。力仕事で身体を鍛えられ、なおかつ給金ももらえる。これはいい仕事だ。
さっそく馬喰町(ばくろちょう)にある道場へ向かう。師範が喜んで迎えてくださった。
「北添様ですね。きょう一日だけですが、お願いします」
「稽古相手って…」
「北添様は、剣術の防具をつけて、ひたすら打たれてください」
「あははは…」

得意の居合の出番はなさそうだ。