「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(7)火盗改(かとうあらため)異聞

木村忠吾は火付盗賊改方の同心で、長谷川平蔵、いわゆる「鬼平」の部下である。うさぎ饅頭に似ていることから「うさぎ」「うさ忠」と呼ばれている。
ある日、鬼平が剣術の稽古をつけてくれることになった。懸命に木刀を打ち込む忠吾。鬼平は「お、ウサギが子犬になったぞ」と。
この主従、仲がいい。木村忠吾の楽しみは、鬼平のお供をすること、美味しいものを食べること、女と遊ぶこと。変名を使うときは「長谷川忠吾」、鬼平は「木村平蔵」と名乗ることがしばしばあった。
この組織は幕末もあり、主に重罪である火付け(放火)、盗賊(押し込み強盗団)、賭博を取り締まった。

火盗改の同心、金子忠助は飲み屋で仲間としこたま飲んでいた。金子が「これで女がいればなあ」と言うと、仲間は「俺たちで悪かったな」と金子に食いつく。数馬はその様子が面白いので、しばらく飲みながら眺めていた。鬼平の「うさ忠」そっくりだと、数馬は楽しかった。
「こ、これは。北添数馬どの! 同心仲間ではござりませぬか。なにを遠慮しているのだ。こっちへ来て飲もう!」
「お、恐れ入ります」
金子は数馬の盃に酒を注ぐと、自らは仲間のためにまた酒を注いだ。数馬は金子に酒を勧められるまま盃を空にする。するとすぐにまた注がれるのである。
(こ、これは……)
いくら飲んでも一向に酔わないのだ。
(これがあの御仁の言っていた「酔わぬ酒」か!)
実はこの「酔わぬ酒」は火盗改の同心の中でも人気が高く、金子はお役目でよく貰ったりしていた。だが、彼は酒が苦手だったので、数馬にも飲ませて仲間に引き入れようと考えたのである。金子はしこたま飲んでも決して酔わない酒を数馬に飲ませ続けた。
「北添どのはまだ一杯目じゃが、遠慮は無用でござる!」
「い、いや私は……」
(もう勘弁してくれ)
と、言いたくても言えないのである。これが火盗改の同心たちのやり方であった。「北添どのも飲みましょう。飲まぬとは言わせませんぞ」
「こ、これは、どうも……」
結局、金子に酒を勧められるまま飲み続けた数馬は、長屋の自分の寝床で目が覚めた。
(あれが火盗改の同心か……)
と、夢うつつで金子の顔を思い浮かべていた数馬であったが、ふと枕に顔を近付けて驚いた。そこには一滴も酒はこぼれていなかったのである。
一滴の酒も残っていない。数馬は金子に一杯目の酒を注いだ後からの記憶が全くない。
朝飯を食べて火盗改の役宅へ行くと、金子忠助がいた。
「数馬どの、きのう、飲みながら話していましたよね。居合を教えてくれると…」
金子忠助は剣術が苦手で、道場ではいつもコテンパンにやられているらしい。何かひとつ特技を持ちたい、と言っていた。
それで、数馬から居合を習おうというのである。
「金子さま、飲みながらの約束です。ですから、居合はお教えしますが、火盗改の仕事に差し支えるほどのお稽古はダメですよ」
「当然じゃ! そんなのイヤでござる」
金子忠助は高飛車な言い方をしたかと思うと急に甘えた口調になった。
(こいつめ……)
と、思った数馬であったが、金子さんの場合、どうやら本心らしいと分かった。
「まあ、いいでしょう。では、軽く稽古をいたしましょう」
「はい! よろしくお願いします」
数馬は金子忠助に居合を教えることにした。仕事の合間を見ては道場に金子を連れ出して稽古を続けたのである。それはたいそう熱心なものであったらしい。火盗改の同心仲間の間ではもっぱらその噂で持ちきりになったほどだったという……
(敵が多い同心の社会にも色々とあるものだな)
と、半ば呆れながらも感心する数馬であった……

ある日、長官(おかしら)から呼ばれた。
「なあ、数馬よ。金子だが、うさぎが子犬になったぞ。何かあったのか?」
「え?」
数馬も驚いた。金子は火盗改の同心仲間の間で、あの飲んだくれが別人のように真面目になった、と噂になっていたのだ。
「金子さまが真面目におなりになったのはいいのですが、その反動で今度は私に酒を勧めて来るようになりました」
「はっはっは……おまえも大変だな。でも、まあいいじゃないか。金子はいい子だ」
「そうかもしれませんね……」
と、数馬は苦笑したのである……
その夜、火盗改の役宅で仲間たちと飲んでいる金子忠助は、
「なあ、おまえたち。おれは数馬どのから居合を習っているのだが……」
と、さっそく自慢した。仲間たちは聞き飽きたという顔で聞いている。
「そこでだ! おれはひとつ考えたんだが」
「おお、なんだ?」
「火盗改は数馬どのと金子忠助の二人もいれば、問題ないのではないかと!」
「バカ野郎!」
仲間たちはそう言ったが、内心まんざらでもなかったらしい。彼らはすぐに数馬の長屋に酒を持って押し掛け、金子と同じように居合を教えて欲しいと申し込んだという……
(しまった。教えるんじゃなかった!)
と、後悔する数馬であった。

「木村忠吾」(尾美としのり