「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(14)剣術指南役

岡部藩では剣術指南役を探していた。石高は一万石。武蔵の国の小藩である。
その剣術指南役について数馬に打診があった。小石川養生所の榊原医師の口添えがあったらしい。「浪人」状態の数馬は、その話に飛びついた。
しかし欠点がある。数馬は居合しかできない。剣道のような「立合」は苦手なのである。高校の剣道の授業で、剣道部員にコテンパンに打ちのめされたのをよく覚えている。居合しかできないが、いいのだろうか。
岡部藩家老、水野智之は、「北添さん、殿を鍛えてくれればそれでよいのです。何とかお願いできないか」
その藩主は重岡義雄。二十三歳だという。武術は何をやってもダメなのだという。

数馬は岡部に着き、家老の水野の案内で、藩主の重岡に会う。身長は数馬より高かった。
「それがし、北添数馬と申します。重岡様の御指南をさせていただきに参りました」
「うむ。道場へ参ろう」

数馬と青年藩主は稽古着に着替えた。
「それがしは居合しかできぬ故、まずは居合から参ります」
物事には、褒めて伸びるタイプと、厳しくしないと伸びないタイプがある。青年藩主は、家老の話を伺っていると、どうやら後者のようだ。数馬は稽古で厳しくやられたことがあっても、他人に厳しくできる人柄ではない。“演技”が必要だ。

数馬「まず座り方です。座るときに袴の内側を左、右と払ってください」
数馬「では始めの礼法からです。このように、こうしてください。下げ緒はこう結んでください」
数馬「重岡様、居合は“常在戦場”と心得てください」
数馬「では、この基本の技から始めましょう。真似してください」 
藩主「うん」
「重岡様、“うん”ではなく、“はい”です!」
「はい!」
ちなみに、座り技である。
「で、そう、あ、違う! もう一度始めから!」 
「はいっ」 
「そう、そこ、難しいと思うけど、もう一度!」 
「はいっ」 
「なんだか違うんだよな。脚が見えるように袴をまくって!」 
「はいっ」 
まだ脛毛が生えてなく、きれいな脚をしている。
「これ、基本のき、ですから、今覚えましょう」 
「はいっ」 
「もう一度、立ち上がって、座って!」 
「はいっ」
「刀を抜いたら相手のこめかみに」 
「はいっ」
「では次の技、こう座って!」 
「はいっ」 
「座り方が違う! もう一度」 
「は、はいっ」 
「そこは直角。もう一度!」 
「はいっ」 
この調子で半時(はんとき・約一時間)が経過。数馬は師匠に教わったとおりのことをしているだけだが、青年藩主は泣き顔になってきた。数馬は自分でも驚いている。こんなに演技力があるとは…
秩父事件の演劇をやったとき、「数馬さん、もっとしっかり演技して!」と仲間から言われたものである。
「北添殿、ちょっと休憩を。脚が動かないのだ」 
「いいでしょう。休憩しましょう」
青年藩主の脚がよろよろしている。ちょっとやり過ぎたかもしれない。しかし三段の腕前でよくぞ教えられるものである。これには数馬自身が呆れている。

居合は体と脚の動かし方である。脚の位置が違えば、斬る位置も変わってくる。正しく体と脚を捌かないと、刀が正しく動かないのである。
数馬はそれを嫌というほど教わった。であるから、青年藩主に対しても、嫌というほど教えているのである。インプットしたことはアウトプットしないと定着しない。青年藩主も可哀そうである。前師匠に「大名が居合をやっているつもりでやれ」と言われたことがあるが、自分が大名に教えることになるとは思ってもいなかった。

青年藩主の脚は、もう動かないようである。若くても普段から運動していないと、こうなってしまう。いや、居合の場合は、普段使わない筋肉を使うので、こうなってしまうのだ。それも数馬は分かっている。稽古はこれでお終いにしようと思う。

「重岡様、お疲れさまでした。本日の稽古はお終いにしましょう」
「余は参った。礼を申す。まだ続きはあるのか?」
「剣の修行は生涯続きます」
「余も、居合の達人になれるかの?」
「なれますとも、続ければ」
あくまでも「続ければ」の話である。これも数馬は嫌というほど知っている。
その晩は豪勢な料理にありつけた。「剣客商売」とは、このことである。

(イメージ)