「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(15)大川の花火

江戸時代、隅田川のことを「大川」といっていた。時代劇で「大川で土左衛門が!」となれば、隅田川で水死体が!ということだ。

夏の隅田川といえば「隅田川花火大会」である。徳川吉宗の頃の「両国川開き花火大会」が起源とされる。数馬は「花火ライナー」という地下鉄電車に乗ったことがある。丸ノ内線荻窪から銀座線の浅草まで直通である。もっとも混雑していてずっと立っていたが。

数馬は花火大会を毎年楽しみにしている。令和の時代では、「毎年混雑して大変だよなあ」とテレビ中継を見ているだけだったが…
花火大会は、毎年、湯長谷藩士の笠井源之助と、浴衣で見にいくことにしている。湯長谷藩といえば磐城にあり、映画「超高速!参勤交代」で一躍有名になった藩である。

梅雨の六月、数馬は寝込んでいた。持病の気鬱うつ病)が悪化したのである。夏場は花火大会を楽しみにしているぐらいなので、季節の変わり目が良くないらしい。小石川養生所の榊原医師に診てもらったが、漢方薬補中益気湯を処方されて、様子を見るだけである。刀が錆びないよう、手入れは何とかやっている。刀も「生き物」だから。
そこへ笠井がやってきた。
笠井は湯長谷藩の家老の息子で、数馬にいつも一緒について歩いていた。笠井も気鬱の持病があり、そのつらさを身にしみて知っているのである。
「なあに、この季節が過ぎれば大丈夫」
数馬が言うと、笠井も、
「この梅雨が明ければ!江戸の夏もよいではないか」
と慰めた。そして大川の花火を楽しむのである。
数馬が笠井に、
「この浴衣の柄はどうかな」
と言うと、笠井は、
「これは暑苦しゅうございますなあ。こちらは涼しげでございましょう」
と勧める。数馬はなぜだかわからないが悲しくて泣いてしまうのである……
私の弟に似ていると。

しばらくして気鬱の症状が落ち着き、笠井は江戸を去ることになる。しかし江戸を去る前に彼は数馬に手紙を出すのである。そして最後の夜には二人で酒を飲み交わすことにする……
二年後、また笠井は江戸へ来てくれ、数馬のところへ顔を出した。「江戸へ来たからには、またあのお蕎麦屋に行きましょう」
二人は笠井の好きな蕎麦屋で酒を酌み交わした。
そして、数馬はふと口を突いて出る。
「浴衣で、大川の花火が見たいなあ」
すると笠井が……
「私も花火を見たいですなあ!」
そんな約束をして別れたのである。しかし……
花火大会の日になっても笠井は来てくれなかった。その夜、江戸は大雨となった……
次の年、数馬は気鬱が長引き、花火の音を聞くのがつらくなってしまった。そんな時、笠井から手紙が届いた。
「病のことお聞きしました」
そしてそのあとにはこう書いてあった。
「来年の夏にはぜひ私もお供に連れていってください」
月日を重ねたが、約束は果たされないのだった……

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