「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(31)みかん

北添数馬は風邪をひいて、自宅の長屋で寝込んでいる。同心の鶴見源之丞がお見舞いに来てくれた。
「北添さん、大丈夫かい」
と、みかんを十個持ってきてくれた。偶然かもしれないが、みかんは風邪に効くのである。みかんに含まれるビタミンAは、鼻や喉の粘膜をきれいにしてくれ、ビタミンCは体の免疫を高めてくれる。

鶴見がみかんの皮をむいてくれる。

「鶴見さん、ありがとう。薬を飲むので、水を持ってきてくれないかい?」
「あいよ」と、鶴見は湯呑に水を入れてきてくれた。鶴見は何度も数馬のところへ遊びに来ているので、何がどこにあるのか、把握をしている。
みかんを一粒頬張ると、口の中いっぱいに甘い味が広がる。この甘さが喉元から鼻へ抜けていくときが、なんとも言えず心地よい。
「うん、美味しいなあ」
鶴見は水の入った湯呑を数馬に渡すと、畳に腰を下ろした。
「風邪なんぞ引かなければねえ」と、数馬はため息をついた。
「たまには病気にもならんと、体がもたないよ」
「でも、風邪は嫌ですよ」
数馬がみかんを食べようとしたら、手が滑った。食べかけのみかんが鶴見の前へころころと転がっていく。鶴見は慌てて手を伸ばすと、みかんを口へ持っていった。
「あっ、駄目」と、数馬は慌てた。
鶴見はみかんを二、三個いっぺんに口の中へ入れた。そして「もぐもぐ」と噛む音がする。鶴見が口に含んでいるみかんは、数馬が食べかけていたものに違いない。
「鶴見さん、吐き出してくださいな」
しかし、数馬の願いも虚しく、鶴見はゆっくりとみかんを噛んでいる。そしてごくりとのみ込んだようだ。
「うーむ」と、鶴見は顎に手をやり、考え込んだ。「なんだか変な味がするよ」
「嫌だなあ」と、数馬は言った。
「でも、美味しいみかんだよ」
「え?」
数馬は鶴見が手に持っているみかんを見た。そして自分の手元にあるみかんを頬張る。
「あ、甘い」と、数馬は言った。「これは甘いですよ」
鶴見は首を傾げた。
「北添さんの風邪がうつったのかな?」
「そんな、まさか」
数馬は笑った。鶴見も笑った。
「風邪は万病の元と言うからね」
「はい、気をつけます」と、数馬は言った。
「私はそろそろ行くよ。じゃあ、お大事に」
と、鶴見は立ち上がった。数馬は布団に座ったまま、軽く頭を下げた。
「わざわざありがとう」
「うん。みかんをご馳走さん」と、鶴見は帰って行った。

みかん

 

(30)浦和散策

北添道場の門弟から提案があった。「見沼通船堀を見たいです」と。何処からそういう情報を仕入れてくるのか分からないが、数馬は「ついでに鰻を食べて、サクラソウ(桜草)を見ましょう」と提案した。
浦和とはこれまた懐かしい。数馬は小・中学生時代、浦和(現・さいたま市)に住んでいたのだ。
サクラソウが見頃な、四月中旬に出掛けることにした。

中山道を北上し、まず、浦和宿に着く。街道沿いに鰻の店が何店かある。そのうちの「うらわ屋」という店に入った。
「“並”なら私がご馳走するけど、それ以上の物を食べるのなら、自分で!」と数馬は言ったので、みな“並”を注文した。並といっても令和の金額で3600円だ。かけそばが十杯食べられる。
鰻を焼く、いい匂いが漂ってくる。門弟の一人は「もう我慢できません!」と言う。
やがて運ばれてきた鰻丼に門弟一同はガツガツ食べる。

「浦和へ来たからにはここで参拝!」と調神社(つきじんじゃ)を参拝する。地元では「つきのみやさま」という愛称で親しまれている。兎が守り神で、狛犬ならぬ、「狛兎」が鎮座している。ちなみに神社なのに鳥居がない。

見沼通船堀に行きましょう」と、見沼通船堀を目指す。“見沼たんぼ”を歩く。

「♪はぁ~ 見沼田んぼは実りの稲穂
野田の鷺山(さぎやま) 通船堀を 守り育てる里景色
浦和踊りは ととんととんと
とんと 手拍子足拍子 
は~ぁ ととんとね~」

「先生、ご機嫌ですね。何の歌ですか?」
「“浦和おどり”って言って、盆踊りの歌です。未来の人が作った歌です」

見沼通船堀は東西二本の見沼代用水と、その間の低地を流れる芝川を結ぶ舟運のため、江戸時代中期の享保年間に開かれた。見沼代用水と芝川は水位差が三メートルあり、関を作って水位を調整し、舟を通す「閘門(こうもん)式運河」で、パナマ運河が同じ仕組みである。年貢米を江戸まで運び、小間物など生活必需品を積んで帰る重要な流通経路の一つであった。ちなみにパナマ運河より百八十年以上前に造られている。
江戸の街がそうであるが、物資輸送は水運が中心だ。

見沼通船堀に着いた。そう都合よく舟はやってくるまい、と思っていたが…
「先生、舟がいます」と、ある門弟が言う。
一艘の舟が芝川で待機している。見沼代用水東縁(ひがしべり)に向かう舟だ。
通船堀には、芝川側から「一の関」「二の関」と、二つの関がある。この二つの関で三メートルの高低差を克服している。ちなみに見沼代用水は利根川から引水している。

さて、舟は「一の関」を通ったところで止まる。「一の関」をせき止めて水位を上昇させるのだ。関に「角落(かくおとし)」という、厚めの板を一枚設置して、もう一枚設置して、といった具合で、時間をかけて水位を上げていく。半時(はんとき・一時間)ほどかかる。

舟が移動するのを確認してから、数馬は…
「方角が反対だけど、サクラソウを見ましょう」と、門弟たちを案内する。
サクラソウは、多くの品種があるが、今回見るのは、荒川ぞいの田島ヶ原に自生しているサクラソウである。

サクラソウ自生地に着いた。幕府が管理しているので、六尺棒を携えた役人が見張っている。物々しい。
数馬は「決して触らないように!」と門弟たちに注意をする。
見張りの役人は「江戸の方々ですか。ゆっくり見ていってください。ちょうど見ごろです。いい時に来ましたね」と言う。見張りの役人にしては愛想がいい。

「桃色の花がきれいですね」
と、門弟が言う。
ある門弟は、「こんなにきれいな花畑、江戸には無いですね」と。

来て良かったと思う数馬であった。


サクラソウ自生地を「幕府が管理している」というのは、フィクションです。武蔵野線西浦和駅下車。国指定特別天然記念物
見沼通船堀は年に一度、「実演」をしています。武蔵野線東浦和駅下車です。国指定史跡。
※「浦和おどり」は5番まであります。今回は3番です。昭和51年制定。都はるみ大川栄策が歌っています。

見沼通船堀の図

 

(29)御小人目付の苦悩

今年もお盆がやってきた。
といっても、数馬は帰る故郷が令和であるし、お盆だからといって、特に何があるわけではない。
ということで、道場で稽古をしている。
門弟の御小人目付(おこびとめつけ)の真鍋平九郎が道場にやってきた。彼にもお盆はないようである。
「先生、拙者の話を聞いてくださいよ」
と、真鍋は言う。他に門弟が来ていないので、数馬を独占である。
「拙者はいま、さる大目付の監視をしているのですが…」
「ほう」
「この大目付は諸国を歩き回っているんですが、特に上役に報告する行状がないのです。なので報告書には“特に何も無し”と書くのですが、上役がこれが気に入らないようで…“真鍋! この報告書の山を見よ! みんなこのように報告書を山のように書いているぞ。それに比べて真鍋は! この昼行灯め!”といった調子なんです」
「昼行灯(ひるあんどん)って何?」
「昼間に行灯を灯したところで役にたたないでしょう。つまり“役立たず”ということです」
数馬は、余計なことを聞いたと思った。
「それで真鍋さんは、上役に何と言ったのです?」
「“大目付は諸国を歩き回っていますが、特に何もしていません”と」
「それだと、上役が怒るのも無理ないね」
「でも、事実ですから。大目付は、ただ歩き回っているだけです」
「それは報告書に書かなくていいの?」
「はい。だから書きようがない。旅をしているだけなのに、報告書に書くようなことが何ひとつないので」
数馬も考え込んだ。
「それは困ったね……」
「でしょう? それで上役に“真鍋! この報告書の山を見よ!”と言われたとき、拙者は“大目付は特に何もしていません”と言ったんです」
「真鍋さん、気づきました。真鍋さんの報告書は“大目付が仕事をしていない”という報告なのです。大目付はこれといった出来事がなくても、仕事はしているのでしょう。それを表現するといいのでは?」
「なるほど! さすがは先生。拙者、今度からはそうします」
「でも、問題は大目付よりもその報告書の書き方かもしれないね……」
数馬は腕を組んで考え込んだ。
「上役には、どんな事柄を書けばいいのでしょう?」
「それがわからないから困っているんです。そもそも拙者は字が下手なので、報告書を書くのも一苦労で」
「じゃあ、その報告書を見せてください」
平九郎は、懐から書きかけの紙を取り出した。
数馬はそれに目を通した。

大目付東海道を歩いていると、道ばたに老人が倒れていた。大目付が声をかけると、老人は「腹が減って動けない」と返事をしたので、大目付は持っていた握り飯を分けてやった』

「確かにこれじゃあね~」
「やっぱり駄目ですよね。先日、似た報告書を書いて提出したのですが、叱られてしまいました。やっぱり上役に報告できるような出来事がないと……」
平九郎はまた考え込んでしまった。


※御小人目付(おこびとめつけ)
江戸幕府の職名の一つ。 目付の支配に属し、幕府諸役所に出向し、諸役人の公務執行状況を監察し、変事発生の場合は現場に出張し、拷問、刑の執行などに立ち会ったもの。 また、隠し目付として諸藩の内情を探ることもあった。

大目付(おおめつけ)
大名・高家および朝廷を監視して、これらの謀反から幕府を守る監察官の役割。旗本の中から選任される。

※※「隠密奉行朝比奈」で、御小人目付を金田明夫がコミカルに演じています。機会がありましたら是非ご覧ください。

(28)鶴見の同心組屋敷

北添数馬は、鶴見源之丞の同心組屋敷に遊びに行った。いちど来てくださいと誘われていた。
八丁堀である。
鶴見の屋敷を訪ねると、
「やあやあ、どうも、北添さん」
と、鶴見が出てきた。
鶴見の部屋は、読書が趣味だと言っていたとおり、本が多い。読み散らかしている。
「もっと江戸のこと、人のことを勉強しないと思ってさ。筆頭同心だし」
「まあ、そうだな… それにしても勉強熱心ですな。この本は?」
と、数馬は畳に置いてあった本を手に取り、眺めた。
「あ、北添さん、それは!」
“春本(しゅんぽん)”である。春画をまとめたもの、といっていいだろう。つまりエロ本である。数馬は面白がって頁をめくる。男×女の絵が多数だが、男×男、女×女の絵もある。局部がけっこうリアルに描かれている。
「鶴見さん、これも“人のこと”の勉強ですな」
鶴見は慌てて、数馬から本を取り上げる。鶴見は、本が散らかっているところを見ると、多少、無精のようだ。
「北添さん、食事はまだでしょう。食べていきますか。ついでに一杯」
「いいね、いいね。甘えますよ」
料理は得意なようである。ご飯に加えて一汁一菜が江戸庶民の基本なのだが、「江戸わずらい(脚気)」にならないように、ご飯の半分は玄米にして、おかずをもう一品加えたほうがいい、と数馬は鶴見に教えていた。鶴見は「ご近所さんが、大根の煮つけとか、焼き魚などを持ってきてくれるので、おかずには困らないですよ」とのことだったが。
食事を終え、一杯飲む。
鶴見の手柄話を聞く。
「先日、有名な盗賊・石川六右衛門を捕えましてね」
「ほほう。大手柄ですな」
「いやいや、あの博打打ち本牧丈太郎も捕まえたのです。これは奉行所へ連行してやりましたよ」
数馬は苦笑した。
「そんな表情されますがね、北添さん、盗賊の石川六右衛門は二百五十回以上も盗みを繰り返し、手下の盗賊団の数も多くて百人を超えていたんですよ」
それはすごいなと数馬は思った。
「それに、本牧丈太郎という男は、博打で稼いだ金で美女をたくさん囲っててね。嘆かわしい男だ」
「それはひどい」
「それと、江戸で一、二を争う廻船問屋(※海運会社)渡海屋の抜け荷(※不正な取引)。裏帳簿が決め手だったぜ。蔵には何千両という小判が唸っていてさ!」
「それもすごいな」
「だからね、北添さん、江戸にはね、まだまだ悪党がいますぜ。悪党はどんどんしょっぴくぜ!」
「それは頼もしいですな!」

鶴見の盃に酒をつぎ足し、数馬は自分で自分の盃にも酒を注いだ。

同心の組屋敷と奉行所の位置関係

 

(27)捕り物

同心の鶴見源之丞が、北添数馬の長屋へ慌ててやってきた。
「捕り物があります。ぜひ体験してください」
「そんなの、体験できるの?」
「お奉行の許可をもらっていますから。一時(いっとき・二時間)ほど経ったら奉行所に来てください」

南町奉行所に出向く。鶴見が出迎えてくれ、身支度をしてください、とのこと。
同心の羽織を着て、鉢巻、襷。刀は、刃引きをしてある刀に交換した。縄と十手を渡された。
「私の指示どおりに動いてください」と鶴見。いつになくピリピリしている。
「これから茅場町(かやばちょう)にある、盗人宿に行きます。まずはその盗人宿を監視します」と鶴見。
同心が三十人ほど集まった。「打合せどおり、それぞれ持ち場についてください」と鶴見が指示する。筆頭同心の手腕を発揮する。

盗人宿の斜め向かいの居酒屋の二階を借りた。そこから盗人宿を鶴見と監視する。
なかなか人の出入りがない。時間ばかりが経過していく。
監視を始めた二時(ふたとき・四時間)後、ようやく動きが現れた。
盗人宿に男が入ってきた。男は何かを探している様子で、あたりをキョロキョロと見回している。しばらく見回したあとで、二階に上がる階段に足をかける。そして階段を上がっていった。
「あれが三兵衛です」と鶴見が囁くように言う。
同心たちが一斉に立ち上がる。「北添さんは、ここから見ていてください」と、鶴見は盗人宿に走っていった。
「御用だ!」と鶴見。逃げようとした男を同心たちが取り囲む。
「放せ!」と三兵衛が叫ぶ。
「おとなしくしろ!」
三兵衛は観念し、三兵衛とその手下四人が同心たちによって縄で縛られた。
「連れていけ!」と鶴見。
男は奉行所へと連行された。
「うまくいって、よかったですね」と数馬。

三兵衛の取り調べが始まった。
数馬は鶴見と一緒に、同心たちとともに奉行所の一室に入った。縄で縛られた三兵衛が座っている。
「なぜ、盗みをしたのだ?」鶴見が問う。
「金がなかったからだよ」と三兵衛はふてくされている。
「金がないのに、なぜ盗人宿に?」と鶴見。
「ここで働けば金をやると言われたんだ」三兵衛はふてくされ続けている。
「では、なぜ盗みをした?」と鶴見が追及する。
「だから金がなかったからだ!」三兵衛は叫ぶように言った。そして下を向いてしまった。
しばらく沈黙が続いた。
「もうよい」鶴見が沈黙を破った。「三兵衛、家はどこだ?」
「ないよ」と三兵衛。
鶴見は三兵衛の縄を解いた。
「おまえを奉行所で働かせようと思う」と鶴見が言うと、三兵衛は驚いて顔を上げた。「どうして?」
「家もないから仕方ないではないか。奉行所では炊き出しもやっているからな」
「ありがとうございます!」と言って、三兵衛は涙を流した。


※盗人宿(ぬすびとやど)  盗人が足だまりとしたり身をひそめたりする宿や家。

捕り物のイメージ

 

(26)秩父の十臓一味

北添数馬は秩父ちちぶ)に所用があって出かけた。
帰りに正丸(しょうまる)峠にさしかかると…
「そこのけ! そこなお人!」
と、声をかけながら駕籠や馬上の武士たちが数馬の前を駆け抜けて行く。
「何事じゃ?」
数馬は、思わず道端へ寄った。
「御用だッ」
飛び下りて来た二人の武士が、いきなり抜き打つ。
ぱっと立ちすくんだ数馬に、一人の武士が斬りつけた。
「な、何をする?」
と数馬は、言うと同時に鯉口を切り、逆袈裟に斬り、さらに袈裟に斬った。
「うぬ!」
猛然と抜き打ちに、二人の武士は刀で受けとめた。
その頭上を、数馬の一刀がうなりを生じて飛び抜けた。
「ぎゃあッ!」
一人が頭を叩き割られ、同時にもう一人も脇腹から肩へかけて斬割られ、即死した。
そやつが持っていた松明(たいまつ)がころがり落ちた。
「うむ!……これは!」
数馬は、斬り捨てた二人の死体をあらためて見た。
二人とも、十臓(秩父の札付きのごろつき)の手下だった。
「おお……おどろいたなあ……」
数馬も、さすがに茫然として立ちすくみ、しばらくは動かなかった。
しかし、すぐに駈けつけて来た秩父在の百姓たちに、
「けがはない」
と、落ちつきはらった。
この知らせで、秩父在の武士たちが大部分駈けつけたので、百姓たちも安心をした。
「北添氏は大丈夫でごぜえやすよ」
百姓たちは口々に言い、数馬の身を案ずると共に、十臓一味の悪行を口々に罵り合った。
その翌日から、秩父では十臓一味の探索がはじまった。数馬は秩父へ戻った。
十臓一味は逃げ隠れが上手で、なかなか発見できない。
「十臓の野郎、秩父代官所が怖くなったらしい」
「うむ。……だが、秩父在で十臓一味を見かけた者は一人もいないというぞよ」
「では、どこにおるのじゃ?」
「それがわかれば苦労はないわい」
と、百姓たちは口惜しがった。

その翌々日。
百姓たちの心配は、またしても的中した。
今度は小鹿野(おがの)で十臓一味の悪業が暴露されたのである。
秩父と同様に、十臓一味は小鹿野でも悪辣のかぎりをつくしていた。
今度は小鹿野の在郷の人びとが協力をはじめた。
甲源一刀流の逸見道場の門弟もこれに協力することになった。
「北添どの。ご助力願えないだろうか」と、逸見道場の師範は言う。
「もちろんです。そのつもりで小鹿野にやってきましたので」と、数馬。
「かたじけない。それがしも、折あらば十臓一味を成敗せんものと心に決めておりましたが、一人二人ならばともかく、何しろ多勢に無勢でしてな」
「ごもっともです」
「北添どのの腕前は、お見それいたしましたぞ」
逸見道場の師範は、十臓一味を一網打尽にして成敗しようと言っているのだ。
「それがしも、そのように考えておりました。先ず秩父代官所に十名の手下がおりますゆえ、これを引き入れましょう」
北添数馬と逸見道場の師範とは手を組んだ。
翌日から、秩父在の人々と小鹿野在の人々が協力し合って十臓一味の探索がはじまった。

その翌日…
十臓一味が十輪寺に潜んでいることが分かった。
甲源一刀流の門弟たちと数馬は、十輪寺の庫裏を占拠している十臓とその手下に襲いかかった。
半時(はんとき・一時間)ほど戦闘になったが、十臓一味を殲滅(せんめつ)させることができた。


十輪寺:埼玉県秩父郡小鹿野町小鹿野1823
※甲源一刀流武道場燿武館 埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄167

 

(25)西新井大師と草加せんべい

北添道場の門弟が、「西新井(にしあらい)大師に詣でて、草加(そうか)せんべいを食べませんか」と、提案してきた。
数馬にとってはとても懐かしい。まだ幼稚園の頃、西新井の団地に住んでいたのだ。休日になると、父が西新井大師に連れていってくれた。

今回の参加も、門弟の約半数である。全員が揃うのは、新年の餅つきぐらいである。
稽古はほぼ毎日やっているが、これも全員が揃うのは稀である。週に一度しか来られない門弟が来る日は、誰かが来なくて、といった具合である。
なので、北添道場は「掲示板」がある。全員に周知したいことはそこに貼り出す。「聞いていなかった」ということが無いように。

さて、一行は、荒川を渡し舟で渡り、まず西新井大師を目指す。
「みなさん、西新井大師の名物といえば、何か分かります?」と数馬。
「?」
「草団子です。美味しいですよ」
さて、西新井大師に着いた。山門のすぐそばに団子屋がある。
店頭で実演販売をしている。手で丸めるのではなく、親指と人差し指で輪っかを作り、そこから、にゅっと、団子ができるのである。次から次へと団子が出来る。面白い。
お風呂で空気を入れた状態でタオルを浮かべ、手で沈めるとてるてる坊主のようになる。それと似ている。
門弟たちも、次から次へとできる団子を見て、飽きないようだ。
店先に床几台(しょうぎだい)があり、食べられるようだが、お参りしてから食べようとなった。

香炉の煙を浴び、本堂で手を合わせる。
門弟がおみくじを引く。
「大吉だ!」「凶だ…」「拙者は小吉です」
“塩地蔵”を撫でる。お地蔵の全身が塩で覆われている。いぼ取りにいいらしい。みんなが触って撫でるために、お地蔵の表情が分からない。
門弟たちが塩地蔵に触る。そして手を舐める。
「先生、しょっぱいです」
と言う。

さて、草団子を食べる。注文して、床几台に座って食べる。
「美味しいですね」
「来て良かった!」
「団子、お土産に買っていこう」
門弟たちの評判は上々だ。案内役として、嬉しい。

次に「草加せんべい」である。
草加まで歩いて行く。令和の時代なら東武電車ですぐなのだが。

草加に着くと、やはり草加せんべいの店がある。何軒かあるのだが、食べたいので、床几台があるせんべい屋さんに立ち寄る。
床几台に腰掛け、
「私は海苔付き」「拙者は、ねぎみそ」「それがしは醤油」
などと、注文する。
数馬がご馳走した。
門弟一同「先生、ありがとうございます!!」

焼きたてのおせんべいは美味しい。焼いたせんべいに醤油が塗られるようになったのは、幕末の頃からである。

数馬はきょう参加しなかった門弟たちに草加せんべいをお土産に買うことにした。帰りの道中で粉々に割れなければよいが……


西新井大師 東京都足立区西新井1-15-1

草団子