「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(20)本当にいた「伊武谷万二郎」

数馬は考え事をして歩いていた。このまま江戸時代に居るのだろうか。令和の時代に妻子を残して…
そこへ、ある武士とぶつかってしまった。
「おぬし、ぶつかっておいて… それがしは常陸府中藩士、伊武谷万二郎。おぬしは?」
「北添数馬と申します。考え事をしていました。失礼しました。謝ります」
「伊武谷さん、これからどちらへ?」
「手塚良庵のところに遊びにいくのだ。宜しかったら一緒に来ないか?」
伊武谷万二郎とは手塚治虫の『陽だまりの樹』に出てくる、架空の人物である。手塚治虫の先祖、手塚良庵とは親友である。
伊武谷は北添を手塚良庵のところに連れて行った。
「ここです、北添さん」
「伊武谷か。これはまた大層なお客人を連れてきたな。ようこそ」
「これはお初にお目にかかりまする、北添数馬でございます」
「そう畏まらくていいですよ。茶でも飲んでいきなさい」
数馬は手塚良庵のところで一杯ご馳走になった。それからしばらくして伊武谷と別れ、宿を探した。そして宿の部屋に入った時、数馬は考え事を始めたのである。
(ここでぼんやりしていても仕方がない。この世界が作り物だとしても……)
「よし、この世界を楽しんでみよう」
翌日から数馬は手塚良庵の家に足繁く通うようになった。そして伊武谷ともよく話すようになったのである。
「手塚殿、伊武谷さん、私はこの世界が作り物の世界と知っていたのです。しかしなぜこの世界に紛れ込んでしまったのか分かりません。お二方はご存じありませんか?」
「さて……
それは何とも言いようがない。しかしこの世界は長い年月を経て、我々の先祖の創作の中に紛れ込んでしまったのかもしれない。しかしそれが何の目的なのかが分からない」
「手塚殿、私はもしかしたら江戸時代の風物を書き留めるために選ばれたのでしょうか?」
「かも知れぬな……」
手塚良庵と伊武谷万二郎は数馬から様々なことを聞いた。数馬は歴史と地理に詳しく、武道もやる。
手塚と伊武谷は数馬の話を熱心に聞いたのである。
「北添さん、あなたは何者ですか?ただの侍ではありませんな」
「色々ありまして。しかしその後ある男に仕えて、その主の伝記を書く仕事をしておりました。その主が亡くなり私ももう仕事はできないと思い、旅に出たのです」
「そうか、それは大変でしたね……」手塚良庵は言った。良庵は数馬と伊武谷を自宅に招いた。彼らは『陽だまりの樹』の主である手塚良庵に、この世界のことを詳しく質問したのである。
「この世界には我々の祖先たちの創作したものが、幾つか紛れ込んでいるようです」手塚良庵は言った。「私も詳しいことまでは分かりませんが……
しかしこの世界の歴史に載ることはないでしょう」
「しかしこの世界の歴史は長い年月を経て、我々の祖先の創作の中に紛れ込んでしまったものかもしれません。だとしたら我々の先祖たちがこの世界の創造に関わっていたとも考えられますね」
「それも分からぬことです。この世界が私たちの祖先が作ったものかどうか……
それは分からないのです」
手塚良庵と伊武谷万二郎は北添数馬の話に興味を持って、彼に色々質問したのである。彼らは自分達の祖先たちのことを書き留めてくれるのではないかと期待したからであった。そして北添数馬と伊武谷万二郎は手塚良庵に別れを告げ、帰途に就いたのであった。
「伊武谷さん、私はこの世界が作り物の世界であるということはあまり重要ではないと思います。今この世界を生きている人々には何の問題もないのですから」
確かにそうである。数馬の人生も作り物かもしれない。でも数馬は何の問題もない。
作り物の世界でも自分の好きなように生きればいいのである。
「そうだな、この世界を楽しもう」伊武谷は言った。「俺はこの世界を楽しんで楽しむぞ!」
北添と伊武谷は仲良く江戸の街を歩き続けた。
伊武谷は「北添どの。剣術はどうです?」
「はあ、居合を少々」
「では、お手合わせをお願いしてもよろしいか?」
北添は伊武谷に剣術で一本取られた。数馬にとって剣術はまだまだである。
そして伊武谷と北添は共に手塚良庵を訪ね、それから暫くして江戸を去ったのであった。
伊武谷は、アメリカ人下田総領事タウンゼント=ハリスが宿舎とする玉泉寺の常任警護役を命じられて、下田へ行くのだという。尊皇攘夷の志士で藤田東湖の『回天詩史』を暗誦している。大丈夫なのだろうか。

伊武谷万二郎