「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(1)小石川養生所


北添数馬は居合道を習っている。いま三段で、四段の試験を控えている。流派は夢想神伝流全日本剣道連盟に所属している。
きょうも稽古があり、黒い居合道着に刀を担ぎ、自転車で道場に向かっていた。

交差点にさしかかったところだった。クルマが左から飛び出してきて、数馬はクルマにはねられ、地面に叩きつけれた。意識がだんだん遠のいた。

気が付いて目が覚めると…
診察台の上に寝かされていた。

「榊原先生、患者が目を覚ましたようです」
「なら大丈夫だ」
「先生、それにしても変じゃありませんか、この患者」
「そうだな。刀を差さずに袋に入っているし、上着は着物ともちがう… 胸のところに“北添”って名札がついている。」

「ここは何処ですか?」
数馬は聞いた。
「小石川養生所です。あなたは大八車にはねられて、ここに運ばれてきたのです」
助手はそう言った。
医師の榊原甚助は、
「あとひと月はここに居てもらいます。足も骨折している」
「小石川養生所? というと、いまここは江戸時代なのですか?」
小石川養生所といえば、時代劇の「大岡越前」や「暴れん坊将軍」に出てくる。徳川吉宗の時代に幕府が庶民のために建てた「公立病院」だ。当時の医師は榊原伊織。榊原甚助はその子孫である。「赤ひげ」こと新出去定も養生所の有名な医師だ。庶民は無料で診察するが、金持ちからは診察代を徴収した。公儀(幕府)も予算がなく、榊原甚助はなんとかやりくりしていた。

数馬は意識を取り戻したが、寝たままだ。
それよりも数馬は時代劇に出てくる小石川養生所に興味津々である。
大広間に患者は寝かされている。フェリーの3等船室のような感じだ。
食事はお粥だ。それと大根の煮つけ。江戸時代の食事は質素だと聞いていたが、本当だった。
助手が飲み薬を持ってきてくれる。苦い! でもこれで傷の痛みが楽になる。
しばらくすると、だれかが手当てにやってくる。包帯を巻き直し、折れている足に添え木をあてて包帯を巻く。それが終わっても痛みでうとうとと眠り、目がさめるとお粥を食べている。毎日それの繰り返しだった。
ああ、カレーライスが食べたい。セブンイレブンの「からあげ棒」が食べたい。すき家の牛丼が食べたい!

寝る前に数馬は榊原医師に聞くことにした。
「先生、自分は本当に江戸時代にいるのですか?」
「そうですよ」
「私は今何年にいるのですか?」
文久三年です」
それにしても未来からタイムスリップする話は読んだりテレビで観たことがあるが、実際になるとは……
「先生、足の骨折を治して、それから私を家に帰してください」
「それは出来ません。あなたはここでしばらく静養するのです」
「そんな……」
数馬はますます困惑した。江戸時代でケガが治って退院したとしても、家に帰るお金もない。まして月謝も払っている。もう道場には戻れないかも知れない。そう思うと悲しくて仕方がない。「先生、お金を貸してください。必ず返します」
「それは出来ない相談です。ここに入院している人に金は貸せません」
「そうですか……」
「ただし、一つだけ早く治る方法があります」
榊原医師がそう言うので、数馬は顔をあげた。
「それはなんですか?」
「養生所の手伝いをすることです。患者が多くて人手が足らないのです。掃除、洗濯、薬草園の手入れ…患者の食事の支度もします。回復するまで、ここで働いてもらいます」
「分かりました。杖で歩けるようになったら働きます」
杖で歩けるようになった数馬は看護助手として働くことになった。まずは洗濯をしなければならない。榊原医師と助手は洗濯板で着物を洗うようだが、数馬は洗濯機の要領で回してしまう。
「これは凄い!」
それが二人の第一声だった。
次に掃除……、薬草園……、食事の手伝い……。毎日三時間は働けるのだが、一日の大半は病室の掃除や洗濯に明け暮れた。ホームヘルパー2級の知識が役立った。
そんな中、数馬は居合のことが気になっていた。
「先生、私は江戸で居合をやりたいのですが」
「それは出来んね」
刀は榊原医師が預かっている。
榊原医師は首を横に振るだけだったが、その日の夕方にはまた新しい患者がやってきた。侍らしい男だが……
「榊原先生、足を折ったのであります」
「どれどれ、見せてください」
男は侍の正装をし、腰に刀を差している。
「これは骨が折れている。これではしばらく養生しなければならない」
「どのくらいで治りましょうか?」
「一ヶ月はかかるだろう」
男は泣きべそをかいている。榊原医師は数馬を呼んだ。
「先生のお手伝いをしている、北添殿に手当てをしてもらいましょう」
数馬は慌てて廊下に出ると、患者の侍と向き合った。廊下には大きな木箱が置かれているのでそこに患者を座らせる。そして足に巻かれた包帯をはずしていく。
変色して、ぶよぶよと腫れている。
「骨折していますね。折れた骨が肉を突き破って外に出ているのです」
数馬は丁寧にその折れた骨を元の位置に戻していく。そして添え木をあてて包帯で巻く。患者の侍はお礼を言うのも忘れ、骨折の治療シーンに見入っている。侍の名前は鵜飼孫六というそうだ。

数馬は毎日洗濯、掃除、料理、患者の食事の支度……と働いている。時には患者の使い走りもする。ケガ人が沢山いるから大変である。
そんな日々を過ごしていると鵜飼の骨折も治り、鵜飼は帰ることになった。別れ際に数馬は鵜飼に聞いてみたいことがあった。
「私は居合を修行しています。どこか、良い道場はありませんか?」
「それなら、それがしに入門してみるというのはどうかね? 治療の御礼だ。厳しいぞ!」
「北添どのは居合を修行しているとのことだが、流派はどちらだね?」
夢想神伝流です。奥伝までやっています」
「ムソウシンデンリュウ? 聞いたことないな」
無理もない。江戸時代にはなかった流派だ。令和の時代では大きな流派なのだが。
「まあ、いいや。それがしが面倒見よう」

数馬は小石川養生所で働いた手間賃に幾ばくかの金子をもらい、鵜飼のところで居合を学ぶことになった。榊原医師は、時代劇で観た榊原伊織(竹脇無我)にそっくりで面倒見のいい医師だった。数馬は何遍も御礼を述べた。