「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(30)岡田以蔵

岡田以蔵(おかだいぞう)は土佐の出身である。
以蔵は子供のころから剣術が得意だったらしく、十歳のときにはもう藩の道場で師範代をつとめていたという。
数馬は居合の修行で、土佐を旅していて、土佐藩の道場を訪れた。岡田以蔵は師範代として居合を教えていた。その特徴のある風貌からすぐに人物を見抜いたのである。

ある日、数馬は岡田以蔵の前に出た。そして「身分を問わず、腕一本で立身出世ができまするか」と問いかけてみた。
これに対して「できる」と即答したのが、ほかもない、岡田以蔵だったのである。
その後、数馬と以蔵はさまざまに語り合った。
「身寄りのないもので、生国に帰ることもできず、天涯孤独の身の上です(妻子がいるのだが帰れない…)」
と数馬が言うと、岡田以蔵は、
「おまんがもし我が藩の藩医を引き受けてくれたなら、わしがそなたの身寄りとなっちゃろう。わしの身分は足軽ゆえに藩士たちのような禄はないかも知れんがな」
と言った。
数馬は「医師」ほどの腕前はないが、小石川養生所でいくらかの経験がある。「それはありがたいことです。しかし、養生所での勤めで多少の経験はありますが、藩医となるだけの技量はありませぬ。ただ……」
「ただ?」
以蔵の問いに数馬は一呼吸おいて答えた。
「それがしに居合の修行をつけてくれるのでしたら、藩医として仕官してもよろしゅうござります」
その日から岡田以蔵と数馬は共に修行に励むことになったのである。
「ところで以蔵さん、その方の鞘はどうしました?」
数馬は岡田以蔵の腰の刀を見て尋ねた。
「こりゃ自分の考えで鞘を朱塗りにしてみたがじゃ」
「朱塗りとな?」
数馬の問いに以蔵は答えた。
「ああ、赤は血の色や。ほんじゃあきに我が師匠の剣の色は赤ながや」
以蔵の言葉に数馬は顔をほころばせた。
「そうか、それはよいな。赤は血の色だ、師匠の指し示した道を進むにぴったりの色ではないか」
「北添もそう思うか」
以蔵と数馬は微笑み合った。
その後、しばらく二人は他愛のない話をかわしていたが、やがて以蔵は思いついたように言った。
「時に北添よ」
「?」
「おまんが持ってきた竹皮の包みだが……」
数馬がそれを見せると、以蔵は目を輝かせて包みを開いた。
「こりゃ握り飯じゃないか」
「いかにも」
数馬は嬉しそうに頷いた。竹皮の包みの中は握り飯が四つあった。
「ここにはおまんとわしの二人しかおらんのだ。半分ずつして食べんか?」
「以蔵どのがそうしたいのなら……」
二人は握り飯を分け合って食べ始めた。
やがて二人が握り飯を食べ終わったとき、以蔵は懐から竹筒を出して数馬に差し出した。
「北添よ。この竹筒には井戸の水をくんできてある。飲むか?」
「ではお言葉に甘えて」
数馬は竹筒に入れられた井戸水を一気に飲み干した。冷たい水が体の隅々にまで染み込んでいくようだった。
「ああ、うまい」
その声を聞いて以蔵は満足そうにうなずいた。そして以蔵は再び懐から竹の皮包みを取り出して言った。「今度はこっちを食べんか?」
以蔵が差し出した竹皮の包みには焼き味噌が入っていた。
「これもおまんのためにこしらえてきたのだ」
以蔵はそう言って竹の皮を開き、中から味噌を塗った握り飯を出して見せた。数馬はそれを見て目を輝かせた。
「これはありがたい!」
数馬はさっそくそれを手に取り、口いっぱいにほおばった。その瞬間、口の中に香ばしい味噌の香りが広がり、そのあまりのおいしさに数馬は思わず目を見張った。

さて、数馬は岡田以蔵と道場で居合の稽古である。以蔵の居合は、なかなかのものだった。
「以蔵さん、あんたの剣は大したものだ」
と、数馬がいうと、以蔵はひどく照れた様子だった。
「いや、わしもそう思っているのじゃが……」
「そうだろうな」
数馬は微笑した。以蔵は真剣である。口先でごまかしているわけではないのだ。こういう人物は嫌いではないと思った。道場の稽古が終わったあとも、二人は親しく語り合いながら帰った。
「以蔵さんの居合は、やはり相当なものだ。ところで、以蔵さんは土佐の浪人だと言ったが……」
数馬の質問に、以蔵がこたえた。
「いや、わしは京にいたこともある。そのとき、東山の柳馬場で辻斬りをやったのじゃ」
「なるほど……。そのときの技が身についているというわけか……」
と数馬は頷くと、話題を転じた。
「ところで以蔵さん。いま、江戸には暗殺の名人と呼ばれる男がいる。あんたは、その男を知っているかな」
「いや、知らんが……。おどろいたねや。数馬さんはそがな男に興味があるがか……」
以蔵は目を丸くした。
「わしは商売柄、どいたち(どうしても)そいつを斬らんとならんのだ」
と以蔵は言った。以蔵の表情の変化を、数馬は忘れることができなかった。目は驚きで大きく見開かれていた。そして顔色が変ったのである。以蔵のこのような表情を数馬はそれまで一度も見たことがなかった。
「以蔵さん、その男の顔を知っているな」
と、数馬が言った。
「いや、知らん!」
以蔵はあわてていったが、動揺が表情にあらわれていた。それを見て取った数馬は、思わず微笑を浮かべた。
「以蔵さん、いまのことを誰にも言わないから安心しなさい」
しかし以蔵は答えなかった。しばらく黙りこんでいたのちに、暗い顔で帰っていった。

岡田以蔵「お~い!竜馬」(武田鉄矢/小山ゆう