「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(29)風邪

数馬は体がだるい。熱もあるようで、この時代に体温計はないが、三十八度くらいあるだろう。おまけに喉も痛い。鼻水も止まらない。頭痛もするし、食欲もない。厠に行くとき、体がふらふらする。
数馬は江戸時代の居合を求めて、東海道を旅していた。ちなみにいまは桑名宿である。
旅籠で布団を何枚も重ねがけして横になっていると、玄関のほうから元気な声がした。
「ごめん! 数馬さんいる?」
土間のほうで、伊与の声がする。伊与はこの旅籠の娘で、長逗留している数馬にすっかり懐いている。
「うん……いるよ」
布団から這い出て、玄関のほうに顔を出すと、伊与がにこにこしながら立っていた。うしろには盛助(伊与の弟)もいて、これもにこにこしている。伊与は一人でずんずん入ってきて、寝間の襖をあけた。
「元気か? なにをしているの? 病気だと聞いたわよ」
「うん。風邪だよ」
伊与は土瓶を手にしていた。
「見舞いに来たの。この土瓶に、数馬さんの好きなお茶を入れてきたの」
「それは、どうもありがとう」
伊与が土瓶のふたを開けると、湯気が立ちのぼり、緑茶の香りが漂った。それだけで気持ちが少し楽になったような気がした。
「伊与。ついでに厠にも行きたいんだけど……」
「あ、わかったわ。盛助について行ってもらって」
伊与は土間のほうへ向かいかけたが、また戻ってきた。
「数馬さん。お土産を買ってきたわ」
伊与が、畳の上に小さなものをごろりと転がす。それは木彫りのカエルだった。
「これを枕元に置いておけば、病気に負けずに元気になるそうよ」
「……」
江戸でもカエルは縁起物なのだろうか? それとも伊与の無知だろうか? いずれにしてもありがたいような、ありがたくないような……複雑な気分になる数馬であった。ちなみに「忍者ハットリくん」の服部貫蔵はカエルが大の苦手である。彼が居候している三葉家の「パパ」が、会社の勤続記念にカエルの置き物を貰ってきて、服部貫蔵は大パニックに陥っていた、というシーンを数馬は思い出した。ハットリくんはインターネットの動画で配信されている。令和の時代に戻れたら観たいなと思う。

薬がよく効いたのか、次の朝になると熱はすっかり下がった。小石川養生所の榊原医師からもらった妙薬を数馬は大事に持っていた。それで薬を調合し、カエルのお守りも枕元に置いて……。数馬は床を這い出して刀を握った。刀は数馬にとって健康チェックの道具でもある。中庭に下りて、刀を抜いて、立ち技をやってみる。びゅんと風切り音が鳴る。
「治った!」
「静かに! 声が大きいわ」
伊与に叱られてしまった。
「ごめん……」
「それでこそ数馬さんだわ。もう大丈夫そうね」
伊与は嬉しそうに言い、それから袖口から風呂敷に包んだ荷物を出した。
「ほら、お土産よ」
風呂敷の中には、小豆がいっぱい入っていた。伊与はにこにこしながら言った。
「風邪を治すには小豆が良いと、母から聞いたの。たくさん買ってきたわ」
数馬は小豆の包みを手に取ってみた。ずっしり重い。たぶん二十キロはあるだろう。
「この寒いのに……大変だったでしょ?」
「いいや! 平気だったわ!」
伊与は明るい顔をして、「大丈夫よ!」と言った。
「伊与は、わたしが強いことを知っているだろ? 風邪なんて平気だぞ」
伊与は肩をそびやかした。
数馬は小豆の包みを抱いて目を閉じた。
(伊与が土産を買ってきてくれた!)
なんという温かい出来事だろう!
(やっぱり伊与は天使だ……!)
感動に震えながら、数馬は目を閉じたままで言った。
「ありがとう。かたじけない……すごく嬉しい」
「それはよかったわ」
と伊与が言い、数馬は目を開けた。伊与はにこにこしている。でもその笑顔を見ているうちに、なぜか数馬の目から涙がこぼれた。
「どうしたの? なんで泣いてるの?」
伊与はびっくりしたように聞いたが、すぐに真顔になって、声をひそめて言った。
「みんなには内緒だ……わたしが泣いたこと」
(小豆を買ってきてくれて嬉しいからだよ)と言おうと思ったが、涙しか出なかったのだった。

数馬は、すっかり元気になった。
伊与と盛助、女将さんにはお世話になった。
数馬は旅を続けなければならない。
出会いと別れを繰り返しながら。
人生が旅なのか、旅が人生なのか、数馬はよく分かっていない。
愛刀と一緒に前へ進むしかない。

カエルの置物