「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(51)居合神社

山形県の楯岡に居合神社がある。居合の始祖、林崎甚助重信が祀られており、官営鉄道が開業したら行ってみたい、と数馬は思っていた。神社の隣に振武館という道場が併設されている。そこで居合の奉納演武をするのが、北添数馬の夢なのである。

明治三十四年八月二十三日、山形から楯岡(現・村山)までの鉄道が開業したと、数馬のところへ伝わってきた。
十月の気候がよい季節。数馬は出かけることにした。上野から東北本線の急行列車で福島へ。福島から奥羽本線普通列車で楯岡へ。
当時はまだ電化されておらず、特急列車もない。しかし数馬は鉄道が好きなので、道中は飽きることがなかった。
「鉄さん(山岡鉄舟)と行きたかったなあ…」
宇都宮で駅弁の立ち売りがあり、汽車の窓を開けて駅弁を買った。握り飯二個とたくあんが竹の皮に包まれていた。
福島で楯岡行の普通列車まで一時間の待ち合わせである。
数馬は駅の待合室で待つことにした。刀を入れた袋を大切に抱きかかえた。
二十五歳ぐらいの男性が、数馬と同じような刀袋を持って待合室の椅子に座っている。声をかけたら、やはり居合神社へ行くのだという。
楯岡行の列車が入ってきた。二人は乗り込んだ。
男性は鳥居為吉といい、流派は無双直伝英信流。海軍に居合術の愛好会があって、そこに所属しているのだという。数馬からみれば、孫のようで可愛い。
列車は庭坂を過ぎると板谷峠にさしかかる。33.0‰(パーミル・1,000mあたり33mの高低差)という屈指の勾配で速度も落ちる。途中の駅はスイッチバックになっていて、駅に停車するたびに前進後退を繰り返す。本線は急勾配になっているため、本線から外れたところに駅を設けているのである。
峠という駅で「峠の力餅」を買い、為吉と分けて食べた。
汽車は駅でもないところを、ゆるゆると停車した。
車掌が忙しそうにやってきた。
「お客様にお知らせします。機関車の車輪が空転してしまい、動けません。しばらく停車します。応援の機関車を呼んでいるので、扉から外にはでず、そのままお待ちください」
「車掌さん、いつも止まるの?」
為吉が言った。
「はい、米沢から応援の機関車が参りますので…」
「まあ、楯岡に着いてくれればそれでいいさ」
数馬は、慣れているかのように言った。
一時間ほど経って、応援の機関車が到着したのか、ゆるゆると発車した。

米沢盆地に入ると汽車は勢いを盛り返して走った。
列車は山形を発車した。外は紅葉がきれいだ。
「きれいな風景だね。汽車の旅はいいよね」と数馬は言った。
「そうだ、これを忘れていました」と鳥居為吉は、膝の上に風呂敷を広げた。
風呂敷の中から握り飯が出てきた。
「どうぞ。宜しければご一緒に」と為吉が言うので、数馬はありがとうと言って食べた。おいしいものだった。
列車は楯岡に着いた。長いようで短い汽車旅であった。

二人は歩いて居合神社を目指した。
為吉は「故郷はどちらです?」と数馬に聞いた。
「上総の湊です」
「それは偶然です。私も上総なのです。遠泳があって富津(ふっつ)から横須賀まで泳いで渡ったんですよ」
「ほほう!さすが海軍だ。なぜ居合を?」
「祖父から刀を譲り受けまして…」
「鳥居さん、失礼ですが、段位は…?」
「三段です。北添さんは?」
「いやいや、これは偶然ですね。私も三段です」
数馬は小石川養生所にタイムスリップしてから、一度も帰っていない。医者がタイムスリップする「JIN-仁-」の南方仁は元の時代に戻ったが、数馬は戻れなかった。

一時間ほど歩いただろうか、居合神社の大鳥居が見えてきた。
「ようやく着きましたね。まずお参りだな」
数馬は感慨深げだ。
二人は参拝し、宮司から振武館道場の鍵を借りた。
玄関の引き戸を開ける。電灯をつけると、道場の床が黒光りしていた。剣術もここを使っているのだろう。道場の隅に防具がある。二人とも居合道着に着替える。
「さあ、鳥居さん、やりましょう!」
「ええ!」

数馬は夢想神伝流の「初発刀(しょはっとう)」をやった。
為吉は「無双直伝英信流の、前(まえ)と似ていますね」と、「前」を演武した。
そして…
数馬は倒れてしまった。
「北添さん! 大丈夫ですか! 北添さん!! 数馬さん!」

数馬は、二度と起き上がることがなかった。享年七十八歳であった。

居合神社(筆者撮影)