「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(40)剣術指南役を断る

北添数馬は高崎に所用があって、中山道を北上していた。
鴻巣(こうのす)宿を出たところである。
歩いていると、反対側から武士がやってきた。数馬より五歳ほど年上で、背丈は数馬と同じぐらいだが、大きな身体である。
目付きが鋭い。
「おう」
と、武士が声をかけてきた。
「はい」
二人は擦れ違った。
しかし、その時であった。
数馬は殺気を感じた。数馬の刀は抜き放たれ、武士の顔面に切りつけた。しかし、武士は抜いていた刀で受けとめた。
数馬は横に飛んで、再び刀を振った。
武士は凄まじい早業で抜刀し、数馬の刃を打ち返した。
二人は同時に走り寄り、刀を打ち合うこと五度に及んだ。
周囲には人だかりが出来ている。この騒ぎに通行する旅人たちも足を止めたのだ。
数馬が言った。「私は北添数馬。名乗れ!」
「林源太郎」
と、相手は答えた。「何用があって、私を襲う?」
「死ね!」
源太郎はいきなり数馬に突きかかった。
数馬は身を躱したが、左の肩を浅く切られた。血がほとばしり出た。
源太郎は刀を構え直したが、数馬も刀を正眼に構えた。
今度は数馬が切り込む番であった。数馬は源太郎の水月を突き刺し、真っ向から斬りつけた。源太郎は倒れた。数馬はまったく息も乱れていない。
源太郎は呻(うめ)いた。「不覚……」
「まだ、死なぬのか?」
数馬は冷たく言い捨てた。そして、刀の血を懐紙で拭い取り、鞘へ納めた。
「見事だ」
と、源太郎は言った。「拙者も修行が足りない」
そして、源太郎は意識を失った。

「噂にたがわぬ凄さだな」
と、人だかりの中から声をかけた者がいた。
旅姿の若者で、一目で身分が高いものと判る侍である。
「お手前様は?」
数馬が刀を収めてきいた。
「拙者は吉井藩の立石九兵衛だ」
「北添数馬でございます」
「殿(藩主)が武芸好きでの。おぬしは居合をやると見たが、その居合の技を殿に見せてもらえないだろうか」
「いいですとも。高崎での用事が済んだら、吉井藩に立ち寄りましょう」
吉井は高崎と目と鼻の先である。

「それはありがたい」
立石は大喜びであった。
そして、数馬は高崎での用事はすぐに済んでしまったので、あらかじめ聞いていた立石の居所を目指して、吉井藩に入った。
立石家はすぐに分かった。
「北添どの、当地にご足労いただき、かたじけない。さっそくですが、藩の道場へ」
道場に案内される。

道場は藩の重役たちが正座をして待っていた。数馬が一礼すると、みな一礼する。やがて藩主がやってきた。

「そなたが、北添数馬どのか。居合の神髄とは何じゃ?」
「勝負は刀が鞘に納まっているときから始まっています。鞘の内で勝つことです。そして常在戦場です。常在戦場は武士の心得。居合も武士の心得です」

藩主は、「ほほう!」と、納得したのか否かは分からないが、「居合の技を見せてみよ」と言った。
「それでは、五本、やらせていただきます」
なぜ五本なのか。それは、試合や審査が五本だからだ。居合の技は沢山見ていると眠たくなる。五本がちょうどよい。

まず「携刀姿勢」となる。そして「神座(しんざ)への礼」をし、袴を捌いて正座をする。「刀礼」をして剣心一体の心境となり、下げ緒を結束する。

「初発刀(しょはっとう)」をやる。居合道の基本、かつ奥義の技だ。
次に「暇乞(いとまごい)」である。相手がつられて礼をして、頭を上げたところを切る。
続けて「袈裟切り(けさぎり)」である。逆袈裟に切り上げ、袈裟に切る。
そして「四方切り(しほうぎり)」である。四方向にいる敵を倒す技である。魔除けになると聞いたことがある。
最後に「顔面当て(がんめんあて)」をやる。柄も武器になりますよ、という次第である。

袴を捌いて正座をし、下げ緒を解く。「刀礼」をして、「神座への礼」をして、ふたたび「携刀姿勢」をして、退場する。

藩主は満足したらしく、
「そなたを剣術指南役としたいが、50石でどうだろうか? もっと高待遇をしたいが、なにせ小さな藩ゆえ…」
「お殿様。申し訳ありませんが、その話はなかったことに」
「なぜじゃ!」
「私は道場をやっています。その門弟たちが路頭に迷うことになってしまいます。それはできません」
「北添どの、確かにそうじゃの。北添どのにも生活があるな。これは迂闊であった。許せ」
数馬は藩主と重役たちと会食をした。
あまり慣れないが、ありがたくご馳走になった。