「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(22)愛宕神社の石段

北添道場の門弟から提案があった。
愛宕(あたご)神社の石段を上りませんか。足腰の鍛錬になると思います」

というわけで、門弟の参加者は半分だが、出かけることにした。
愛宕神社は「桜田門外の変」で水戸浪士らが集結した場所である。愛宕山の山頂にある。

待ち構えていたのが神社へ通じる男坂の急な石段である。これは「出世の石段」とも呼ばれている。由来は、徳川家光が家臣に愛宕⼭に咲く梅の花を馬に乗って取ってくるように命じたところ、丸亀藩曲垣平九郎が馬でそれを成し遂げたことによる。 
この石段、かなり急である。上を見上げれば背中から落ちそうになるから、ともかく必死になって上らねばならない。

「先生、頑張ってくださーい!」
門弟のひとりがそう声をかけて、数馬を追い越していく。

息を弾ませながら石段を上り終えると、門弟は「もう一回行ってきます」と石段を下りていった。若いってのは、いいね。
山頂の標高は二十六メートルで、江戸では最高地点である。江戸湾や房総半島まで見渡すことができる。

神社を参拝し、「さて下りるか」というところだが、急な石段を見下ろした瞬間、震えがやってきた。バランスを崩そうものなら、そのまま八十六段、一気に転げ落ちることは間違いない。実は膝を痛めている。このところ痛みはないのだが、いつ激痛に見舞われるか分からない。 
結局はゆるやかな「女坂」で下りてきたが、やはり足の動きがぎこちない。

「このまま、桜田門に行ってみるか!」
と、数馬は提案する。

令和では官庁街だが、武家屋敷ばかりである。
桜田門を眺めて、いざ帰ろうというとき、武士の一団から声をかけられた。

「待て。我らは彦根藩の者。姓名を名乗ってもらおう」

桜田門外の変があってから、彦根藩ではかなり警戒を強めている。

「北添道場、師範、北添数馬」
「本所源助長屋 左官、駒吉」
日本橋呉服商、手代、和助」
「府中藩 猪谷万三郎」
「御小人目付 真鍋平九郎」
「上州無宿 紋太郎」

彦根のご家中、これでよいかな?」と数馬。
「まさか、御小人目付殿がおられるとは、いやいや失礼。どうぞお通りくだされ」
「それはご苦労であったの」と数馬

ちなみに御小人目付(おこびとめつけ)とは…
江戸幕府の職名の一つ。 目付の支配に属し、幕府諸役所に出向し、諸役人の公務執行状況を監察し、変事発生の場合は現場に出張し、拷問、刑の執行などに立ち会ったもの。 また、隠し目付として諸藩の内情を探ることもあった。”

「真鍋さん、助かりましたよ。私の方針で、身分素性は聞かないことにしているのですが、幕府のお役人様とは…」
「先生、今日は楽しかったです。役人が役人を監視するというのは、かなり疲れるんです。報告が少ないと“仕事をしているのか! 昼行灯!”と言われ…」
「そうですか…… 大変ですね」

数馬は、いまのままで良いと思った。

愛宕神社 東京都港区愛宕1-5-3

愛宕神社の石段 (幕末の写真)