「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(23)安政遠足(あんせいとおあし)

北添道場の門弟が、これは鍛錬になると、情報を持ってきた。
上州の安中(あんなか)藩がやっている、「安政遠足」である。
“遠足”とは、「とおあし」と読み、令和で言う「マラソン」のことである。

「この遠足(とおあし)は安中藩士がやるんじゃないの?」
「はい、そうなのですが、藩士以外の参加者を募っているのです」

「私は参加を遠慮しておく。応援には行くから、参加者を門弟で決めなさい。手続きは私がやるから」と、数馬は言った。
さらに付け加えて、
「この遠足は大変だぞ。要項を読んだが、中山道碓氷峠(うすいとうげ)を上るんだぞ」
碓氷峠がどれだけ大変な場所なのか、門弟は知らない。

北添道場の参加者は松野金吾と滝田鶴之助。二人とも江戸から外へ出た事がない。

中山道を北上し、安中宿で前泊した。令和の刻限にすると、安中城を午前九時に出発するという。

安政遠足は安政二年、安中藩主の板倉勝明が藩士を鍛練する目的ではじめた。安中城内から碓氷峠熊野権現までの七里(およそ28㎞)余りを走るもので、力餅が賞品として走者に配られるという。

さて、安中城である。ざっと見たところ、参加者は百人ぐらいである。みな参加者は武士ばかりだ。
「松野さん、滝田さん、頑張って。横川(よこかわ)の関所を出ると碓氷峠だから、関所までは体力を温存しておいたほうがいいでしょう」と、数馬はアドバイスする。
藩主が打ち鳴らす太鼓で出発した。
門弟二人が遠足の稽古をしていた気配はない。大丈夫なのだろうか。
無事に戻ってくればいい。そう思う数馬である。

以下、参加した門弟の松野金吾の報告である。

やはり横川の関所を過ぎて急坂になった。落ち葉が積もっていて、足を滑らせた。予備の草鞋を持っていって正解だった。峠への道は走るのは無理で、同じく門弟の滝田鶴之助と支え合いながら熊野権現にたどり着いたという。

参加した二人は、
「これが賞品の力餅です」と、数馬に餅を見せた。
「よく頑張った。北添道場の誇りだ!」と数馬。
それよりも、足の指をかなり痛めたらしく、二人とも足の指から出血している。
滝田は、
「この力餅、江戸までもつでしょうか? 江戸に着く前にカビが生えるんじゃ…」
「そうだな。旅籠(はたご)の女将(おかみ)に話して、焼餅にして食べてしまうか!」と、数馬。
旅籠に着き、足の「すすぎ」を持ってきた女将は、二人の出血した足を見て、吃驚(びっくり)している。
「まあまあ、これは大変ですわ」
「女将さん、焼酎をいただけますか?」と数馬。
「いまお持ちします」
数馬はあまりやりたくなかったが、焼酎を口に含み、二人の門弟の足の指に焼酎を吹きかけ、手拭で拭った。
「これで大丈夫でしょう」と、数馬は自信をもって言う。
女将はしきりに感心しながら、二人の足に塗り薬をつけ、旅籠で炊いている赤飯を分けてくれて、二人をいたわった。
「女将さん、この力餅を焼餅にしてください」と、数馬は頼んだ。
女将は承知して焼きたての焼餅を作って持ってきた。
この力餅は、二人の賞品である。数馬は我慢したが…
「先生、少し食べてください。美味しいですよ」
と、滝田と松野が勧めてくれた。美味しい焼餅だった。

熊野神社 長野県北佐久郡軽井沢町峠町1番地 標高1200m 神社が群馬と長野の県境にまたがっていて、賽銭箱が二つあります。

安政遠足」横川にて。平成6年5月8日筆者撮影