「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(12)算盤

数馬は珠算二級である。数馬が二級を取得した頃はそれで銀行に就職ができた。国鉄の窓口でも算盤が活躍していた。窓口の係員はパチパチと珠をはじき、切符と釣銭をよこした。
数馬が就職する頃は、もう既に算盤は廃れ、「エクセル」という表計算ソフトが活躍していた。

数馬は口入屋の主人に、何か仕事がないか聞いた。
「北添様は確か算盤ができましたよね?」
「ええ、少し。でもずいぶん前の話です。十五歳とか」
「北添様、ちょっとやってみますか? 案外覚えているものですよ」
「そうかなあ。じゃあ、そこにある算盤、貸してもらえますか」
「はいはい、どうぞ」
数馬が使っていた算盤と違う。珠が七つある。数馬の算盤は珠が五つである。
ちなみに算盤も刀と同じように、貸し借りはしないものである。他人の算盤は感触が違うのだ。鉛筆を持ちながら、親指、人差し指を使っていく。
「え~ では。願いまして、五文なり、八文なり、二百五十文なり、五十五文では!」
「三百十八文!」
「ご名算!」
このあたりは、まだ入門である。進級するにつれて、桁が増えていく。確か数馬が使っていた算盤は二十三桁で、乗算(掛け算)、除算(割り算)になると、算盤の全面を使う。口入屋の算盤は十五桁で、木製である。
「北添様、今度のお仕事ですが、犬山様という家老の家計簿を計算して、無駄を指摘してください。つまり家計の立て直しです」
数馬は、内心、それって… 「武士の家計簿」(主演:堺雅人)じゃないかと思った。お祝いの席で本物の鯛を用意できず、鯛の絵で食事を我慢する……

しかも、時代劇ではありがちなシーンだ。個人の家では金銭貸借、幕府だと勘定奉行が不正をするとか、廻船問屋が抜け荷(※不正な輸出入)をしてぼろ儲けするとか。材木問屋が種類の違う材木を卸して差額を儲けるとか…時代劇はカネにまつわる話題が多い。「越後家、おぬしも悪よのう」「いえいえ、森下様には敵いません、このとおり、山吹色を…」ちなみに「おぬしも悪よのう」という役柄は田口計が似合っている。「暴れん坊将軍」では、いつもそんな役回りをしている。

それはともかく、さっそくその犬山家に行った。
「北添数馬です。よろしくお願いします」
「おう、よく参られた。さっそく仕事に取り掛かってくだされ」
家主の犬山兵馬は五十歳ぐらいで、いかにも武家の主人という貫禄があった。数馬は早速計算に入った。珠をパチパチはじくのである。犬山家の財務状態が見えてくる。こういった場合、やはり「エクセル」が良い。グラフを作って可視化すれば、より説得力がでてくる。
この家老は贅沢だ! 特に米である。庄屋を食ってしまうほどの米の消費量だ。家老が自分で食うのか、家族が食べるのか、家臣の分も含むのか、よくわからぬ。しかも一石である。この家老は馬鹿じゃないのか? しかもこの家老は勘定奉行も兼務しているという。
「これは一体なんですか?」
「うむ、米を買わねば」
「どれだけ買うつもりですか?」
「まあ、三石のつもりじゃ」
一石の米を買うのに三石の予算を必要とするのか!? 三石の米を買うと二百五十文かかる。それを一石で買うというのだ。
犬山が一石買うと、家臣の分も含めて一石だから、三石の米を一人が食ってしまう。家老は自分で食うのか? 家臣も食べるのか?
「このままでいくと、百石になっちゃいます」
「左様か?」
「左様ではありません! 御家老様が贅沢をし過ぎるからです」
「それは……仕方なかろう。私だけではない。この家の者みなそうだ」
数馬はブチ切れた。家計簿で、お上に訴えるべきだ。
「大体、三石も買う米を買えるだけのお金をなぜ家老が召し上げるのですか?」
「そ……それはだな……」
数馬の怒りの問いに対して、犬山は言葉を詰まらせた。なぜ家老が三石の米を家臣に食わすことができるのか? 家老はもっと倹約して、家臣のために米を買うべきだ。犬山は武士であるから食わねば生きてゆけぬのか? いや違う。商人だって、米を買うのに三石の予算を要する者はほとんどいない。
「わかりました。ご公儀にお家の財務状況を伝えてまいります」
「ま……待て! それだけはやめてくれ!」
犬山は土下座して懇願する。家老として、そのような恥をかかされては困るのだ。家老として面目が立たないからだ。結局この家老は一生涯、家計簿をつけることができなかったと思う。
ただ! 数馬も人のことは言えないのである。令和の時代、予算ぎりぎりで生活をしているのにビールを毎日のように買い、消費者金融まで手を出してしまった。いまではかなり反省をしている。タイムスリップする前に返済は終わっている。

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