「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(50)足尾銅山と古河市兵衛

足尾銅山は江戸時代から銅の採掘・製錬がされていた。明治時代になると渋沢栄一のバックアップもあって、古河市兵衛が「古河鉱業」として、ますます採掘・製錬が盛んになった。
公害予防の設備はあったが、まだ技術が追い付いておらず、渡良瀬川鉱毒水を、山奥には亜硫酸ガスをまき散らしていた。

北添数馬のところへ「古河市兵衛の警護をして欲しい」と渋沢栄一から依頼があった。
数馬は山岡鉄舟と親交があったため、渋沢栄一も北添数馬の名前を知っていた。鉄道開業式にも数馬は居合の演武をし、渋沢栄一は来賓で来ていた。
それにしても、数馬は七十代である。なぜ私なのだろう。古河市兵衛の話し相手ではないかと思った。

数馬は銅山街道(あかがねかいどう)を北上し、足尾へ向かった。
渡良瀬川はきれいだが、緑色の水だ。
渋沢栄一から「渡良瀬川の水を飲むな」と言われていた。しかし、激しく喉が渇いた数馬は、渡良瀬川の河原に下りて、水をすくってがぶ飲みした。宿場に蕎麦屋があったので、ざる蕎麦を食べた。

いまは5月下旬。新緑の季節である。山の緑色がまぶしいくらいだ。
しかし、足尾に近づくにつれて、山からは緑がなくなり、岩肌がむき出しになって、足尾に到着したら、山に木はなく、禿山になっていた。足尾の町は賑やかで、鉱山住宅が並んでいる。軒先には洗濯物が干されている。

間藤(まとう)というところを過ぎると、大きな煙突からもくもくと煙を吐いており、古河鉱業はすぐに分かった。守衛に名前を告げると、市兵衛のいるところへ案内してくれた。

それにしても、山奥にこんな「殺風景」な工場が占めているとは。

市兵衛の部屋に通されると、市兵衛は笑顔で数馬に握手を求めた。数馬はしっかり握手をした。
数馬には専用の部屋が用意されていた。
数馬は足尾を訪れる前に刀を持って行っても良いかと尋ねた。「剣術道場があるので、ぜひお持ちください」とのことだった。
持ってきた刀は部屋の隅に置き、愛用の居合道着を衣紋掛けに掛けた。

市兵衛「北添さん、お腹が空いているでしょう。一緒に食事をしましょう」
数馬は「ええ、ぜひ頂きます」と答えた。
長い通路を歩く。外を見て数馬は驚いた。電気機関車が荷物を運んでいる。機関車の上にはトロリーポールがあって、そこから集電する仕組みだ。市兵衛は自慢げに、
「日本初の“電車”ですよ。明治二十四年に試験をして、三十年から本格的に使っています」
鉄道が好きな数馬が「乗りたいなあ…」と言うと、市兵衛は「坑夫が乗るトロッコがありますので、食事を終えたらそれに乗りましょう!」と、乗せてもらえることになった。

食事を終え、トロッコにも乗った数馬は充分満足したが、市兵衛の守護が本来の目的である。それを忘れかけていた。
数馬にとって肝心なのは「剣術道場」である。稽古着と刀を持って道場へ行ってみたが、誰もいない。それもそのはず、仕事中だからだ。市兵衛に尋ねると「自由に使っていいですよ」とのことだった。道場には山岡鉄舟の書が額装されて掲げられていた。もちろん数馬には、何が書いてあるのかさっぱり分からない。
数馬は座って黙想をした。しばらく夢想神伝流の技の全てをやっていないので、初伝の「初発刀」から「陰陽進退替業」、中伝の「横雲」から「抜打」、奥伝の「霞」から「暇乞」までをひとおりやった。
交通事故の後遺障害もあって、全ての技をやることはできなかった。

さて夕食である。市兵衛と一緒だ。
「道場に山岡鉄舟さんの書を掲げてあるが、何と書いてあるか分かるかね?」
「いや~ 私にはさっぱり」
「“不動心”だそうだよ。渋沢栄一さんが譲ってくれた時、教えてくれたんじゃ」
「鉄さんらしいや」
「ところで、北添さん。山岡鉄舟さんというのはどういう人物でしたかな?」
「偉人には間違いないのですが、気さくな方でしたよ。汽車に乗るのが好きですし。ほら、鉱山電車。あれ、鉄さんがみたら、喜びますよ。新しいものも好きなので。市兵衛さんのような人でもありますよ。市兵衛さんは“財閥王”。でも、市井の私にでも気さくに接してくれますし。好物は横浜の洋食屋のビーフシチューとパンです」
「じつは、私、寂しいのじゃ。工場も大きいし、従業員も大勢いるし、寂しくなんてないでしょうと思われるのだが…」
「それは、たぶん市兵衛さんが、自分のことを嫌いだからです。これは受け売りなのですが。晩年はだれもが一人になるのです。その証拠に私は一人で暮らしているのですが、寂しいと思ったことは無いのです。市兵衛さん、これはもう始められているかもしれないですが、足尾銅山の歴史をまとめたらいかがですか。後世にきっと役立ちますよ。いま鉱毒問題があり、いまの技術では解決しないそうですが、書物にまとめれば、解決の糸口になるかもしれません」
「北添さん。いろいろありがとうございます。書物にするのは明日、着手します。北添さんも手伝ってくださいますかな」
「もちろんです。喜んで!」

ざっと、初日はこのように終わった。明日から本格的に市兵衛の警護だ。
数馬は部屋に戻って、居合道着のまま、愛刀を抱いて寝た。
この居合道着、数馬が学生の頃に買ったものである。青春の証として、いまでも大切にしているのだ。汗と血がしみ込んでいる。血は納刀に失敗して、袴で拭いた。師匠には黙っていた。黒い居合道着で正解であった。
実はこの稽古着、左袖に穴が空いている。全剣連居合の「柄当て」をしたときだ。後ろの敵の水月を突き刺すはずだったが、自分の腕を突いてしまったのだ。「切れない」模擬刀だったので、怪我は無かった。このことも誰にも秘密にしている。その戒めもあって、新しい道着を買うことはしない。

山岡鉄舟は明治二十一年、五十三歳で亡くなっている。
田中正造が明治三十二年三月、足尾銅山を視察にやってきている。数馬が足尾にいた一年後のことである。

古河市兵衛