「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(34)新選組入隊試験

史実では、新選組に入隊試験はなかったとされている。とりあえず募集し、適性に合わなかったら「除隊」ということだった。

しかし、数馬が新選組を訪れたときは、試験があった。剣術の実技と読み書きである。勘定方の候補には、算盤の試験も用意されている。
数馬は珠算二級である。しかしそれは中学生までの話で、以後はやっていないので、足し算引き算ぐらいしかできない。掛け算、割り算は忘れてしまった。もっとも数馬は勘定方の希望ではないので、「剣術」である。
剣術の試験官は、永倉新八が担当である。数馬はちょっと困った。
剣術の場合、目録や免許が指標になる。数馬は令和の現代武道なので、段位しかない。「日本刀操法初伝」なるものがあるが、遊びで取得したようなものである。江戸時代に段位があったのかはよく分からないが、こうなったら居合の実技を見てもらうしかない。
永倉が「次! 北添数馬! 居合を見せてもらう」と言った。
数馬は道場の床に袴を捌いて正座し、座り技を三本やった。次に中伝の「見栄え」のする技を三本。そして奥伝の「暇乞」をやった。
永倉は、腕を組んでいる土方歳三に打診した。数馬は剣術師範「居合の部」として採用された。
採用試験には南部盛岡藩脱藩の吉村貫一郎も来ていた。南部藩の剣術指南役をやっていたので、吉村も採用された。

数馬は吉村貫一郎に挨拶をした。『壬生義士伝』(浅田次郎)のイメージとは違い、大人しい印象を受けた。
「北添さん、いぢど盛岡さ来てけせ。南部盛岡ぁ日本一の美しき国でござんす。西さ岩手山がそびえ、南には早池峰山… 南部の桜ぁ石割って咲ぐのだ」
数馬は『壬生義士伝』を読み終えたあと、盛岡へ行ったことがある。確かに吉村が言うとおりである。「石割桜」も見た。盛岡地方裁判所の敷地内にある。
吉村も剣術師範に取り立てられた。

次の日の夜、宴会が行われた。数馬はみなに酒を注いでまわった。吉村も同じことをしている。そして吉村は「南部盛岡は…」とお国自慢がはじまるのである。数馬は房総半島の内房なので、海がきれいなことぐらいしかない。祖父は海軍なのに、数馬は金槌である。

酔いがまわってきた。数馬は適度なところで切り上げ、屯所に戻ろうと提灯を手にして夜道を歩いていた。
そこへ背後に殺気を感じた。数馬は振り向き、刀を鞘ごと勢いよく抜き、相手の顔面に柄頭を食らわした。怯んだ相手は斎藤一だった。数馬は内心「顔面当て、成功!」と喝采した。斎藤は「お前が気に入らない」と、斬りかかってきた。数馬はそれを刀で受け流し、捨て身の覚悟で斎藤を押し倒した。道の上で揉みあいになった。数馬は「私は死にたくない。死にたくないから居合をやるのです」
すると斎藤は、「居合をやれば命のやりとりなど日常茶飯事だ」と笑い、去って行った。数馬はほっとしたが、動悸が治まらない。
数馬は屯所に帰り、その夜は眠れなかった。翌朝、数馬は朝飯の味噌汁が飲めなかった。
吉村がやってきた。吉村は「昨夜ぁ素晴らしかった」と言った。どうやら喧嘩と勘違いしたらしい。
「いや、あの……」と数馬が言い訳をしようとすると、吉村は言った。
「おめは喧嘩もつえがったのが」
「えっ?」と数馬は言った。
「わぁ、おめのごど見直したよ」と吉村が言った。