「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(33)奄美大島へ…

北添数馬は、西郷隆盛に会うため、奄美大島へ行く船に乗っている。鹿児島を出た時点では揺れはほとんど無かったが、次第に揺れてきた。
数馬は乗り物が苦手である。船もダメだが、駕籠も馬も酔ってしまう。整形外科にある乗馬マシンはいくら乗っていても大丈夫なのだが。
奄美大島の港には、西郷が迎えを寄越してくれることになっている。約束の時刻よりも早く着いた。

西郷は主君・島津斉彬の側近として活躍していたが、斉彬が急死し、安政の大獄で西郷は幕府に追われ、僧・月照とともに薩摩へ逃げ帰った。しかし、実権を握っていた島津久光はこれを拒んで月照を「日向国送り」にする。日向国送りとは殺害を意味する。殺害を命じられた西郷は月照と鹿児島湾に身投げした。月照はこと切れ、西郷は蘇生した。薩摩藩は西郷を幕府の目から隠すために、奄美大島に潜居させた。
…ということで、西郷は奄美大島にいるのである。罪人としての遠島ではないので、生活はある程度自由だったようだ。

海をぼんやり眺めていると、舟が一艘近づいてくる。数馬は姿勢を正して待った。舟は数馬のすぐそばに漕ぎ寄せられた。甲板に人が立っている。
「西郷さんですか?」
「そうでごわす」
船員風の格好をしているものの、なかなかの男ぶりである。大島紬の下に黒い麻の着物を着ていて、手ぬぐいで頬被りをしている。
「鹿児島から来られた北添数馬殿でごわすか?」
「そうです」
「お迎えけ来た。西郷でごわす」
「は、はあ……」
数馬は船酔いで、弱っていた。西郷が腰に手をかけて言った。
「北添どんは居合ん達人ち聞いちょいもす。北添どん居合を見っとを楽しみにしちょった」
あの西郷さんが私の居合を楽しみに待っていた… 数馬は嬉しくなった。
「船酔いは大丈夫でごわすか」
「はい」
「では、行きもすかな」
西郷が先に舟を降りた。数馬に手を貸そうとする。が、数馬はなんとか自分の脚で立った。
西郷に導かれるまま、数馬は船着き場へ降りた。
「あの、この舟の漕ぎ手さんたちは……?」
「心配ごわはん。もう行もす」
なるほど、いつのまにか姿が見えなくなっている。さすが、薩摩隼人である。数馬は改めて感心した。
西郷は港から歩いてゆく。道々島民に声をかけられると「よか」と応じていた。それが奄美の言葉なので、数馬にはさっぱりわからないが、島民たちに慕われていることだけはわかる。
西郷は竜郷というところで、「愛加那」と結婚をし、暮らしている。あまり充分とは言えないが、暮らすことには困らないであろう、という程度の家である。ハイビスカスの花が咲いている。さすが南国だ。ソテツもある。今日は本土から武士(数馬のこと)がやってくる、ということで、近所の者が集まった。

「北添どんの居合はすごいと、半次郎どん(中村半次郎)から聞いちょいもす」
「ありがとうございます」
数馬は、内心「中村半次郎には軽くあしらわれたけど、どうなっているのだろう」と思った。

「ほう、よか刀をお持ちじゃなあ」
数馬は刀を褒められるのが好きである。自分が褒められるより嬉しいのだ。逆に刀を悪く言われると、怒りは頂点に達する。まだ数馬自身の悪口のほうが許せる。

「酒を飲ん前に居合を見せてもれると(見せてくれますか)?」

屋内は狭いので、外で夢想神伝流の奥伝、五本をやる。

・行違(ゆきちがい)・袖摺返(そですりがえし)・門入(もんいり)・壁添(かべぞい)・受流(うけながし)

「これはよか! あた(あなた)が気に入った。奄美に住んではどげんな(どうですか)?」
「それはちょっと…」

島民が島唄を唄ってくれる。
数馬と西郷は酒を飲みながら話をした。酔っていることもあり、互いに饒舌になっている。西郷は面白おかしい話をするので、数馬は笑ったり手を叩いたりした。

「ところで北添どん。船はお得意じゃしか?」
「いやあ、まったく得意ではありません」
「そうけ。実はあたいもじゃ。あたいは薩摩人じゃっで、こん波風はなんとも耐えがて」
西郷の厳しい顔でそう言われても、なんだか可笑しいだけである。
「はっはっは…… 薩摩の方も私と同じでござったか……」
「なあ、北添どん。ここはひとつ、互いの苦手を克服するために、一緒に船に乗るというのはどうでごわすか?」
「いい考えですなあ。やりましょう」
ということで、数馬と西郷は一緒に船に乗ることになった。
「西郷さんも船酔いをするのですか?」
「いいや、あたいは平気ですたい」
数馬は嫌な予感がした。この満面笑みの西郷さんは本当に平気なのだろうか……
しかし、大丈夫と言うからには大丈夫なのだろう。多分。数馬も酒を飲みながら笑った。
「はっはっは…… いやしかしあれですな。私はずっと居合をしておりますが、西郷さんとはもっと早くにお会いしていれば、我々の友情も深まったのではありますまいか」
「その通りじゃ。あたいも北添どんともっと早く出会いたかったですたい」
「北添どん! お頼みがあっと! あたいに、居合を教えたもんせ!」
「え? え?」
「あたん居合に一目惚れした! あたいもぜひ北添どんごつなろごたっとじゃ! いや、あたいだけでなっ薩摩ん剣士全員に教ゆっべきじゃ!」
ああ、そうか。そういうことか……
数馬は納得した。確かに居合は素晴らしい。しかし数馬としては教えたくないのだ。なにしろ自分は不器用だから……

楽しい時間も終わりである。夜が更けてきたからだ。島民たちも明日の仕事があるし、数馬も奄美大島に滞在できるのは三日間だけである。

翌日……
西郷が柴犬を二匹連れて現れた。
「北添どん、これから狩りにいきもんそ」

船でなくて良かった、と数馬は思った。

西郷どん西郷隆盛・愛加那(鈴木亮平/二階堂ふみ