「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(32)人斬り半次郎

「人斬り半次郎」として恐れられた薩摩の中村半次郎桐野利秋)。数馬にとってはどのような剣を遣うのか、大いに気になる。そんな数馬の視線に気づいたのか、半次郎が振り向いてにいっと笑った。
「おいどんの剣は薩摩じゃと、ないもんを遣うからごわす」
「それは──」
剣術には決まりというものがある。その流派によって理合の違いはあるが、どの流派にも共通する理合がひとつある。それを〝剣筋〟と呼ぶのだが、その剣筋は開祖から連綿と受け継がれるものである。従って自分のものではない剣を振るうという半次郎の発言はおかしなものになるのだが。
「それは、天与のものにごわす。おいどんが勝手に変えるわけにはいかん」
数馬の疑問を見透かしたかのように半次郎が言った。
「おいどんの剣は、そう──まさに〝天真開物〟ごわすよ」
「あ、天真開物? 天から与えられたものと?」
数馬が驚くと、半次郎が笑った。その笑顔は屈託がなく、そしてどことなく少年じみていた。
(──こんな顔をするんだ)
「天真開物」という言葉にどのような意味が込められているのか、数馬にはわからない。だが、半次郎はその言葉が気に入ったようで何度も繰り返しては口にしている。
「天から与えられたと? しかし、そんなことを言われても……」
戸惑う数馬に、半次郎はさらに言った。
「天与とか〝剣筋〟とか言ったところでつまらん! おりゃ、そんなものを相手にするつもりもなか!」
その言葉に数馬はハッとした。
(そうか──こいつは、敵を求めようとしているんだ)
半次郎がどんな剣を遣うのか、数馬にはわからない。だが、その剣筋がどのように相手をとらえるのか、数馬にはわかるような気がした。それは型に囚われず、自由に伸び伸びと剣を振るうということなのか。天与のものを相手にする──まさにそういう意味なのだろう。
「さて」
半次郎が立ち上がった。袴もたくし上げていないし頭巾も外しているから、これから試合をするとは思えないほど落ち着いた様子だった。
「ちっと、揉んでやるかな」
「あ……いや、その……」
慌てて数馬も立ち上がった。すでに完全に相手のペースに巻き込まれている。
「半次郎さん。居合は遣いますか?」
「居合?」
きょとんとした顔で半次郎が数馬を見た。
「いや、おいどんは流派に縛られるつもりはないでごわす」
きっぱりと言い切る半次郎に、数馬はうなずく。その心がわかったような気がした。
(この男には〝型〟なぞどうでもいいのだ)
天与のものを相手にする──まさにその言葉通りの男なのだろうと思った。それが良いことなのか悪いことなのかわからない。だが、少なくとも目の前の中村半次郎という男は、ただ自分がそうしたいからやるだけなのだ。
(天真開物……か)
ふと、数馬は半次郎が言った言葉を思い出した。剣に型があるように、人間には〝型〟があるのだろう。だが、それにとらわれず自由に伸び伸びと剣を遣う──それができればどれほど強くなるだろうかと思った。
「どうした?」
動こうとしない数馬に半次郎が声をかける。その声に我に返った数馬は慌てて木刀を手にした。
「じゃ、よろしくお願いします」
そう言うと半次郎が右の手甲をはめた左手を、ゆっくりと刀の鞘に近づけていく。その動きがあまりにゆっくりしていて、数馬は目で追うのがやっとだった。
「あっ」
半次郎の手が柄を掴んだ瞬間、木刀を抜こうとした数馬は自分の手が動かないことに気づいた。はっとして見ると、半次郎の手に自分の右手首が握られているのがわかった。
「真剣勝負は何度もしとる」
半次郎が言うと同時に、左手の鞘から抜かれた刀が一閃した。次の瞬間には、木刀を握ったままの右手首に冷たいものが当たっていた。
「抜いた瞬間なら、斬れると思ったんだがな」
「抜く前に押さえられたんじゃ、どうにもなりませんよ」
苦笑しながら数馬が木刀を下ろした。それを合図のようにして半次郎が手を離した。
「今度はもう少し本気でお願いします」
数馬の言葉に、半次郎がうなずいた。そして今度は居合の構えから一気に間合いを詰めてきた。
(は、速い!)
あわてて木刀で半次郎の刀を防ごうとした途端、いきなり半次郎が刀を引いて刀を横にした。
「あっ!」
刀の向きを変えられたことで、数馬の木刀がその流れに引きずられて横に動いた。さらに半次郎は左手で抜いた刀をそのまま振り下ろしてくる。
(押さえろ!)
とっさにそう思った数馬は、木刀を横にしたままで頭上に翳した。その瞬間、鋭い音とともに木刀が弾かれた。
「え?」
左手の手甲で木刀を弾くと同時に、右手の刀で斬りかかってきたのだ──そう気づいた数馬は、さすがに舌を巻いた。
「参る」
そう言って半次郎が一気に間合いを詰めてくる。その速さに圧倒された数馬は、ほとんど何も考えずに刀を振るっていた。それは素振りを繰り返したあとの、半ば無意識の反応だったと言っていいだろう。
だが──それすらも半次郎はかわした。その剣の速さもさることながら、瞬時に相手の動きを把握できる洞察力と身のこなしが並外れていると思った。
(こいつは──)
あのとき「手も足も出なかった」というのは、決して大袈裟な表現ではなかった。数馬はあらためて「薩摩の中村半次郎」という剣士がどれほどのものだったのかを思い知らされていた。
「いやあ……まいりました」
結局、その後も半次郎にあしらわれ続けた数馬が、苦笑した顔で言った。その言葉に、さすがに半次郎の息も荒くなっていたが、それでも笑顔で応じる余裕があった。
「何ね、おいどんは全然本気じゃなかったごわすよ」
「そうでしょうね……」
数馬は内心、助かった、と思った。

中村半次郎