「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(36)山岡鉄舟

数馬は会いたい人物がいた。山岡鉄舟である。居合について何か聞きたかった。何でもいい。山岡鉄舟先生に会いたい!
その達人といわれる鉄舟の稽古法を聞いてみたかったのである。
「忙しいお方だから、会うのは難しいだろう」
と、剣友は言う。しかし数馬はどうしても諦められなかった。何とか鉄舟に会えないだろうかと思っていろいろたずね歩いているうちに、ついに会えることになった。

場所は神田橋門内の不忍池の西側にある無刀流の道場だった。そこでは無刀流の塾が開かれていたのである。
その門に掲げられた額を見上げて数馬は目を見張った。
「鉄舟先生の居合」
と、その額は書かれてあったからである。門をくぐると広い前庭があり、その奥が道場になっていた。鉄舟はそこにいた。おだやかな目をしているが、顔は威厳があった。
(これが無刀流の開祖か。しかも江戸城無血開城の立役者)
数馬はじっと見入った。
「なにか私に用事があるとお聞きしましたが」
鉄舟のほうから声をかけられて、数馬ははっとなった。道場のなかは厚い板張りで、それが風をよけてほの暖かく保たれていた。鉄舟は床の上に座っていた。
「先生は居合の達人と伺いまして」
「そんなことはありません」
と、鉄舟は言った。謙遜でなく本心のようだった。しかし数馬にはそうは思えなかった。
鉄舟のすさまじい居合を一度ならず見たことがある。
(この人には敵わない)
そう思わせるだけのものが鉄舟にはあった。しかし……
(ぜひ稽古をつけてもらいたい)
と、数馬は願った。しかし、すぐには願っても聞き入れてもらえないだろうとも思った。自分ごときを相手にしてはくれないだろうとも考えた。
「お願いがあります」
「何でしょう」
「先生は人を斬ったことがおありですか」
鉄舟はじっと数馬を見た。おだやかな目である。しかし、その目は底知れぬ力をたたえているように感じられた。
(斬られるかもしれない)
そう感じたが、いま頼める人物は鉄舟しかいないのである。
「ありますよ」
あっさり鉄舟はいった。まるで世間のうわさ話ででも言うような口ぶりであった。
「ほ、本当ですか」
数馬は目をみはった。
「本当です」
と、鉄舟は言った。
(これはすごい)
「では、斬りますか」
と、鉄舟は立ちあがった。
「危ない」
と、数馬は思った。しかし鉄舟は立ったままであった。構えようともしないのである。
「お受けください」
数馬は一歩すすみ出た。そのままの姿勢である。
鉄舟は黙ってそこに立っているだけである。
(斬れるか)
一瞬そう思ったとき、道場の入口の戸があいた。
「先生」
という声とともに若い門弟が入ってきた。鉄舟はふり向くと、その青年をかえりみた。青年は道場の入口に座っている数馬を見た。
(この男が斬りかかろうとしていたのか)
青年はそう思ったようである。
「おゆきなさい」
と、鉄舟は声をかけた。そして無刀流居合の抜付けをやって見せたのである。
「わかりました」
数馬は素直に頭を下げた。このときは斬られてもいいという覚悟があったのだ。それが相手に通じたと。
「いずれまたまいります」
そう言って、数馬は道場を出た。鉄舟は無論のこと、青年も追ってはこなかった。
(まさか、これほどとは)
強いとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。
(あれが無刀流の抜付けか)
門を出るまで数馬は感心し続けた。

山岡鉄舟