「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(31)福沢諭吉

豊前(ぶぜん)の中津藩に居合の名人がいるという。数馬はさっそく中津へ向かった。中津藩内に道場を見つけると、さっそく入門し、稽古をする。
聡明な顔つきの若者がいる。師範は「福沢。居合を数馬に見せてやれ」と言った。福沢諭吉(立身新流)は「はっ」と答え、刀を手にして、するすると抜いて見せた。居合の動きには無駄がない。形も整っていて見惚れてしまう。
「いかがでございますか?」と福沢が言う。
数馬は尊敬のまなざしで頷いた。「これほどとは思いませんでした」
そして数馬も居合をやってみることにした。しかし、思うようにいかない。納刀すれば刀がポロリと外れ、鞘が袴の中に入ってしまったり… いつもの数馬ではない。
師範がやってきて言った。
「仕方がない諦めろ」
「ですが、どうしても居合が習いたいのです」
「できないと言っているのだ。さあ、藩の仕事を手伝ってもらおう」
それから数馬は中津藩の役人となった。城下の見まわりや文書の整理などの仕事をやらされる。武士としての誇りもなにもあったものじゃない。
さて居合を習いたいという思いは消えず、福沢を訪ねてみた。
「福沢さん、ぜひとも居合を教えて下さい」
「そうだな、よし教えてやろう」
二人は近くの寺に行き、稽古を始めた。だが数馬は福沢ほど上手くやれない。
「居合というのはな、形の美しさではないのだ」
「では、なんのために?」と数馬は言った。
「それはな……」
と言いかけて福沢は口をつぐんだ。そして小声でつぶやいた。
「……それは命のやりとりをするためのものなのだ」
命のやりとり? なんのことだかわからないが、なにか恐ろしいことのように思えてならない。しかし興味をかきたてられもする。数馬は思いきって聞いてみた。
「どういうことでしょうか?」
「知る必要はない。おまえが居合を習う理由はないのだ」
「それでも教えて下さい」
居合を習いたかったのだ。しかし福沢は答えるかわりに、黙って刀を抜き、数馬に斬りつけようとした。あわてて数馬は逃げた。
福沢は言う。
「そうだ、それでいいのだ」
「なぜです?」
「命のやりとりなら江戸でおぼえろ」
数馬は江戸へと帰っていった。
その後、数馬は中津藩の江戸屋敷に住むことになった。そしてある日、福沢から手紙が届いた。
「中津藩の江戸屋敷にいるならちょうどいい。さっそく命のやりとりをしようではないか」
なにがあった? そう思いながらも数馬は福沢を訪ねることにした。すると福沢が刀を抜いて待っていた。二人は出会った場所で勝負することにした。庭の中央で向き合うと、福沢が言った。
「まず小手調べだ」
福沢は刀を振りあげた。とたんに数馬はがくんと膝をついた。身体が動かないのだ。
「な、なんですか、これは……」
と数馬が言うと、福沢は言った。
「居合には相手を動けなくする術があるのだ」
これも居合の技か。しかしこれでは命のやりとりどころではないぞ。動けなければどうしようもない。それにしばらく休んでいれば、また動けるようになるだろう。しかしそうは問屋がおろさなかった。福沢はさらに刀を振りあげて見せたのだ。
「また動けなくしてやるぞ」
さらに数馬は力が抜けていった。がっくりと膝をついてしまう。もう駄目か……、と思ったその時、福沢は刀を納めた。そしてにやりと笑うと言った。
「命のやりとりは、勝ったほうが相手を自由にできるのだよ」
いったいどういう居合なのだ? そんなことを考える暇もなく福沢は刀を振りあげ、再び数馬に斬りつけようとした。また動けないようになり、自由になったとたんに逃げる。その繰り返しだ。
やがて数馬は逃げ疲れてしまった。がっくりと膝をついて言った。
「もう動けません」
「そうか、ではとどめといくか」
福沢は刀を大上段に振りあげた。その瞬間、突然ひらめいたものがあった。自由になるまえに攻撃する方法があるはずだ。それを見つければ福沢に勝てるかもしれないぞ。
「つぎで最後だ」
と福沢は言い、刀をふりあげた。その瞬間、数馬は福沢に飛びかかった。そしてしがみつく。すると福沢の動きが止まった。二人は地面に倒れこみ、もみあった。福沢が刀を振ろうとしたので、数馬はすねのあたりを蹴った。それで福沢はころんだ。それでもまだ抵抗しようとするので数馬は顔面を蹴飛ばしてやった。それから二人は組みあったままころがった。やがて二人は動かなくなった……。

福沢諭吉