「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(37)北添道場、危うし

北添数馬はささやかな道場をやることにした。数馬は「居合指南 北添数馬」という看板を道場の外に掲げた。この看板は山岡鉄舟が揮毫した。
さて、入門者は現れるのだろうか。
また、道場がうまくやっていけるのだろうか。しかし数馬はまったく心配をしていなかった。数馬は道場で正座をし、目を閉じた。たちまち眠気が襲ってくる。
(私はもう、幕末を生きた北添数馬ではないのだ)
それは分かっているつもりだが、眠くなると、はっとすることがある。
(ひょっとすると、私はいまも幕末に生きていて、あの池田屋事件の最中にいるのではないか……)
そんな思いが突然湧きあがってくるのだ。目を開いているつもりでいながらも、いつのまにか眠っているのではないかと不安になる。瞼をあけて時計を見るときなどは、ほっとするほどだ。

山岡鉄舟がお祝いに駆けつけてくれた。
「おめでとう」
と、鉄舟が大きな声で言った。
「ありがとうございます。北添数馬の名がやっと世間に知られるんですね」
「ま、あまり力まないことだ」
鉄舟は笑顔を見せず、そう言った。
(このひとは、わかっているのだ)
数馬はうれしかった。江戸時代にやってくる前、山岡鉄舟の『剣禅話(けんぜんわ)』を読んで、感銘を受けていた。しかし、それは黙っていた。
「ところで、いつ道場をはじめるつもりだ」
鉄舟がきいた。
「一月の十日にしようと思っています」
数馬は答えた。
「七草も過ぎてからだな。それまでは俺が手伝うよ」
鉄舟は道場開きのときまで手伝いにきてくれることになった。
(ありがたい)
数馬は感謝した。

数馬はひとつ心配なことがあった。道場破りである。
(このままでは、押し込みに襲われるかもしれない)
そのことは、鉄舟にも打ち明けていない。
三月三日の昼前であった。数馬は稽古を終えてから、門人のひとりに酒をふるまい、しばらく話をしていた。そのうちに外が騒がしくなったので出てみると、数人の侍たちが門を入ってくるところだった。みな帯刀している。
「これは何事か」
と数馬が声をかけると、その中の三十歳ぐらいの侍が答えた。
「拙者は桜田門外の変で討死した、青山下野守の側臣、井口主水(いのくちもんど)である」
「それがしは同じく、田村家の士で、後藤喜平次と申す」
ほかに二人いた。みな一刀流を使うという。
(道場破りとは……しかも今日は桜田門外の変があった日ではないか)
数馬はあきれた。だが、彼らは本気のようだ。目が光っている。三人は次々に名乗りを上げながら、居並ぶ門人たちを見回している。その態度は自信に満ちていた。
それよりも数馬は心当たりがない。数馬が江戸時代にやってきたのは文久三年で、桜田門外の変の後である。
「それがしたちは下野守の恩義に報いるため、何としても仇討ちをしたいと願っておる」
三人の中ではいちばん若い井口主水がいう。
(困ったことになった)
と、数馬は思った。門人たちも脅えている。しかし、何も答えようがないのだ。とんだ濡れ衣である。
仲間の一人が、「主水、こいつではない。似ているが、別人だ」
と、数馬を指さす。
(よかった)
と、数馬は思った。すると三人が顔を見合せた。そしてうなずき合った。主水が低い声でいう。
「道場破りに失敗とは……何ということだ」
すると二人も口々にいいはじめた。
「このところ成功つづきなので、気が緩んだのだろう」
「とりあえず退散して、出直そうではないか」
(やれやれ)
数馬は三人に言った。
「まあ、ごゆるりとしていかれよ。それがしでよければ、お相手をいたそう」
「お相手だと……」
三人は顔を見合せた。そして、急にあわて出した。主水が言う。
「いや、それはどうも……怪我でもさせてはならぬし……」
すると二人も声を合わせて言った。
「そのとおりだ」
三人組は道場を出て行きかけたが、やはり気になるのか、もう一度戻ってきた。そして外へ出て行きかけながら、小声で話し合っている。
「あんな男ではあるまい」「似たところはあるのだが……」
三人は逃げるようにして帰って行った。

筆者が通っていた道場