「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(38)特別講師、山岡鉄舟

北添道場で教えるのは、居合の術技だけではない。人生はどうあるべきか、考えることを門人に教えている。ときおり、講師に山岡鉄舟を招いている。ちなみに当道場の顧問である。

「山岡先生は、武道と人生についてどう考えておられますか?」
北添道場の門人の一人が鉄舟に尋ねた。
「世の中には、学ばなければいけないことがたくさんあるが、最も大切なことは、他人のいうことより自分の心に従うことだ」
「自分の心ですか?」
「そうだ。自分の心に従って行動する者は、損をすることを恐れない。得をしても満足しないし、たとえ損をしても不満を感じない」
鉄舟は説く。
「武士道とは、君子の道なりと書いて武士道というが、私は間違っていると思うね」
「どうしてですか?」
質問した門人は身を乗り出した。
「武士道はたしかに立派なことだが、それは理想であって現実の姿ではない。現実では欲張りになっていいものだよ」
「欲張りになっていいのですか?」
「そのほうが楽しいだろう」
鉄舟は愉快そうに笑った。

「山岡先生!」
もう一人の門人が手を挙げた。
「山岡先生にとって、剣術とは何ですか?」
「人生だ」
鉄舟は即座に答えた。
「しかし、それでは答えになっていませんよ」
門人たちは不満そうな表情になった。
「そうかもしれんな」
鉄舟は否定しない。そして、言葉を続けた。
「剣術とは、心身を錬磨するものだ。つまり、自分の人生を生き抜いていくためのものだ」
鉄舟の言葉に門人の表情が明るくなった。自分が求めていた答えがそこにあったからだ。数馬も山岡鉄舟を講師に招いて正解だったと感じた。

数馬は、「せっかく山岡先生を招いたんだ。他に質問は?」
門人が質問した。
「山岡先生。山岡先生は書もやっておられますが、剣と書はどういった関わり合いがありますか?」
「関わり合いも何もない。もともと一つであったものだ」
鉄舟が答えた。
「二つが一つに?」
「そうだ。どちらも一人の人物によって、はじめて生まれたものだ。書は筆を使って書くから筆をとれば書けるし、剣は刀を握って振るえば相手にあたれば斬れる。どちらも一人の人間によってはじめて生まれたものなのだ」
鉄舟のこの言葉を、数馬は胸に刻んでおくことにした。

「山岡先生!」
門人が手を挙げた。
「山岡先生は、は江戸城無血開城のとき、単身、官軍本営に乗り込んだそうですが、どんな気持ちでしたか?」
「いや、あの時は無我夢中だったのだ。俺はな、幕府のためにやったのではないのだ」
「えっ? そうだったのですか?」
「あのときな……。江戸の町には大砲を撃ちこまれて、多くの死人が出た。俺は無念であった。人間があんな風に簡単に死んでしまうのかと思ったのだ。それが悲しかったのだ。だからあの官軍の本営に乗り込んで、西郷はどこだ! と叫んだのだ」
「それで?」
「そうしたら、なんと西郷は俺に頭を下げたのだ。『おいどんが西郷じゃ。迷惑をかけもうした』とな」
「そうだったのですか……」
山岡にはやはり底知れぬ魅力があるなと数馬は感じている。彼は無欲の人なのだ。世の中を変えるためには、こういった無欲の人間が必要とされるような気がする……。

門人に質問をさせておいて、一番得をしているのは、数馬だったかもしれない。平成の時代に八段の先生から「居合道は人生だ」と言われ、よく理解できていなかったが、山岡鉄舟の話を聞いて、なるほどと理解した。

(筆者蔵)