「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(44)幽霊退治

湯島のある民家に、彰義(しょうぎ)隊士の幽霊が出るという。
その民家は一年前に建てられて、夫婦が住んでいる。
なぜ彰義隊士と分かったかといえば、「彰義隊士、阿部十内」と名乗ったという。
夫婦は怖がり、家を売りに出したが、買い手はついていない。
その阿部十内を名乗る幽霊は、たびたび出るのだが、ほとんど被害がない。
しかし今回は別だった。
寝室に現れ、血まみれの刀を枕元に置き、何か訴えているという。そして幽霊が去った後は、血の塊が残されているという。

この話を北添数馬が知ったのは、山岡鉄舟から相談を持ち掛けられたからである。さすがの山岡鉄舟も、幽霊の話となると、どうにもならない。「どうにかならないかい?」と、鉄舟は言う。数馬が鉄舟に相談することはあっても、鉄舟から数馬に相談というのは珍しい。
「何とかなればいいのですが」
数馬は困惑している。幽霊に訴えられても、どうにもできない。ただ話を聞いてやることくらいしか、自分にはできそうにない。
「まったく困りましたね」
数馬は言うしかない。
「無理かねえ」
鉄舟が言う。それはそうだろうなと、数馬は思うのである。こればかりはできるものではない。できないものはできないと正直に答えた上で、自分にできることをするしかないだろうと思う。けれども、どうやって手助けすればいいのかが分からない。

数馬はその屋敷に泊まり込むことにした。幽霊の本音、原因が分かるかもしれない。
数日後、現れた。やはり刀が血まみれである。幽霊となって出るからには、よほど無念があったのだろう。
幽霊は語り始めた。
「拙者は彰義隊士の阿部十内。上野戦争から逃げたが、拙者の隠れた家は焼き払われ、そこに潜伏していた拙者は、焼死したのだ。熱かったぞ。お前にその気持ちがわかるか……武士として切腹したかった。切腹したい…」
切腹
阿部はもう死んでいるのに切腹したいという。武士としての形式にこだわりたいのだろう。ならば、切腹するのにも形式にこだわったほうが良いだろう。

「そうですね、阿部さん。切腹の場所を用意しますので、明日また同じ刻限に来てもらえますかね。辞世の句を詠みますから考えておいてください」と数馬。
「明日を楽しみにしている」と、阿部は消えた。

さて翌日…

そういうわけで、数馬は鉄舟と切腹場所の準備をした。場所は屋敷の庭である。

1・屏風を設置。
2・畳を敷く。三宝(さんぽう)も用意。
3・辞世の句を詠むための短冊と筆、墨と硯。
4・脇差と刀を包む奉書紙。

鉄舟は切腹の場面を見たことがない。数馬は時代劇で何度も見ているので「鉄さんは設営のお手伝いで大丈夫ですから」と安心させる。

介錯人は北添数馬、検使役は山岡鉄舟。「鉄さんは見ているだけでいいです」と数馬。

さて、幽霊の阿部がやってきた。
「これはかたじけない。いい切腹ができそうだ」
「この短冊に辞世の句を」と数馬。

幽霊は墨を磨(す)りはじめた。
「墨を磨る」という行為は、ただ単に墨液を作るためだけではなく、墨の心地よい香りや微かな磨り音によって心を落ち着けることができる。数馬は写経をやっていたことがあったが、墨汁ではなく、墨を磨っていた。やはり気持ちが落ち着いた。

切腹のときに磨った墨を硯に入れておくのは、「さっさと切腹を」という意味だと数馬は解釈している。墨を磨る時間は、心を落ち着かせる重要な時間だ。切腹人にはこれくらい、時間の猶予があってもいい。

墨が磨れたのか、幽霊は短冊にすらすらと筆で辞世の句を書いて、詠みあげた。
できた短冊を幽霊が鉄舟に渡す。

幽霊は「では参る!」と三宝を後ろに置き(※腰にあてがってもよい)、切腹した。
数馬は「順刀(じゅんとう・夢想神伝流介錯の技)」をやった。
幽霊なので、血は出ない。介錯も、幽霊の首を通過しただけである。
「これで気が済んだ。武士として旅立てる」

幽霊が去ったあと…
数馬は庭で、全剣連居合の「四方切り」をやることにした。四方を断ち切るので、魔除けになると聞いたことがあったのである。

まず、右斜め前方の敵の右こぶしに柄当てし、左斜め後ろの敵の水月を突き刺し、さらに右斜め前の敵、続いて右斜め後ろの敵、そして左斜め前の敵を真っ向から切り下ろす。

四人の敵がいて、その四方の敵を斬り倒すのである。

そして、山岡鉄舟に「鉄さん、墓碑を建てるのはどうでしょう。鉄さんの揮毫で」
山岡は「任せろ」と、墓碑の揮毫を快諾した。

墓碑は庭の隅に置かれ、それ以来、幽霊騒ぎは起きなくなったのである。
令和の現在はビルが建っているが、その墓碑はビルの屋上に移動し、引き続き供養されているという。

切腹