「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(11)赤穂浪士の縁者

北添数馬は赤穂浪士が大好きだ。いやいや、悪いのは浅野内匠頭で、吉良上野介は被害者じゃないかと思うが、やっぱり赤穂浪士が好きである。

泉岳寺へひとりで行った。道場の門弟たちと師走の十四日に行ったことがあるが、大混雑していて、あまり落ち着かなかった。ひとりでゆっくり堪能したい。
墓所に行くと、五十歳ぐらいと思われる男性が、花を添えて手を合わせていた。この時期は誰もいないと思っていたのであるが、意外であった。
話によると、岡野金右衛門(おかのきんえもん)の縁の者だという。
岡野孫八という。

岡野金右衛門は十文字槍の使い手であった。大工の娘を通じて吉良屋敷の図面を手に入れたとされている。享年二十四歳。辞世は「その匂ひ雪のあさぢの野梅かな」である。 元禄十六年二月四日に切腹している。

岡野孫八は、二月四日の命日に墓参に来るという。決して師走の十四日には行かないそうだ。
数馬は、岡野孫八に好感を持った。「その匂ひ」という句が気に入っているのだそうだ。
二人は、泉岳寺のそばにある蕎麦屋に入って、ざる蕎麦と熱燗を注文した。
「いやいや、赤穂義士とご縁のある方にお会いできるとは思ってもいませんでした」と、数馬。
「命日に墓参するのが本来でしょう。故人と静かに語り合えるのがいいですね」と、岡野。

「私は赤穂浪士の討ち入りが大好きです。『仮名手本忠臣蔵』の四十七士は、みんな好きですね」と、岡野。
「私もです。特に大星由良之助(おおぼしゆらのすけ・大石内蔵助)がいいですね。あの豪傑ぶりがいい」と、数馬。
「そうなんです。由良之助が、吉良邸に討ち入るとき、家の戸を全部はずして、『開けろ! 開けろ! ご上意である!』って大声で言うでしょう。あれはよかった」と、岡野。
それから、岡野は赤穂義士について語りはじめた。いろいろな人が墓参に来るそうだ。数馬は目を見張って聞いた。
「先日は、義士の討ち入りの日だったそうです。江戸で仕事をしている息子が言っていました」
「ああ、泉岳寺にはたくさんの人が来ていましたよ」と数馬。
「でも、立ち入ったことをお尋ねしては失礼かもしれませんが、どうして岡野さんは四十七士がお好きなのですか」
すると岡野は微笑した。
「それは、義士たちの討ち入りが見事だったからでしょう」
数馬はうなずいた。
岡野はそれから、「命日に墓参するのは、私だけではないんです」と言った。
「私が四十七士を好きなのは、あの人たちが理想主義的だからです」と続けた。
数馬は首をかしげた。理想主義者とは何だろう。岡野は説明した。
「義士たちの多くは、主君のために命を捨てていますね。主君のために死ぬのが武士だと私は思っています。つまり義士とは、主君のために死ぬことがすなわち武士の生き方であるという信念をもった人間のことなのです。
義士たちは、自分のためではなく、主君のために死んでいきました。だから彼らは理想主義者だと言えます」
数馬は「なるほど」と感心した。
「ですから、私にとっては、赤穂義士は古くさい忠義ものではありません。理想主義者なのです。だから私は好きなのですよ」
数馬は「そうか」とうなずいた。そういうふうにも考えられるのか、と思った。

仮名手本忠臣蔵