「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(3)高杉晋作の企み

北添数馬は、長屋で朝顔に水をやっていた。朝顔の世話をひととおり終えると、刀の手入れを始めた。そこへ高杉晋作がやってきた。「北添さん。おじゃまする」
「高杉さん。ちょっと待ってください。いま、ちょうど刀の手入れをしてるところですから」
刀の刃にぽんぽん(打ち粉)をあてながら、数馬は高杉に言った。
「高杉さん、イギリス公使館の焼き討ちをしたでしょう」
「ええ、やりました」
「私はね、あのときは吃驚しました。高杉さんはやっぱりやることがスゴイと感心しました」
数馬はいつも刀を箱から出しては、丹念に拭いていた。几帳面な性格なのである。
「じつはね、北添さん……」
「はあ……」
「じつは……じつは……」高杉は言いにくそうにしている。
「はあ?」
「じつは……じつは……じつは……」高杉はまた言いにくそうにしている。数馬は刀を拭くのをやめ、正座して高杉に正対した。
「じつはね、北添さん……」高杉は畳に目を落とした。
「はあ?」
「……じつはね……」高杉は下を向きながら、まだ言いよどんでいる。
「じつは?」数馬は正眼で刀を構えた。
「じつは……」高杉は顔を上げ、声をひそめて言った。
「じつはね、北添さん……じつはね、わしな、イギリスへ密航しようと思っとるんや」
「ええ?」数馬は刀を構えたままである。
「なあ北添さん。びっくりしないで聞いてくれよ」
高杉は居ずまいを正した。
「はあ……」
数馬は刀を下ろした。
「実はな、このあいだの船の中でイギリスの密偵がおってな……」
密偵ですか?」数馬も居ずまいを正した。「それで?」
「それでな、密偵から聞いた話によるとな、イギリスは攘夷浪士どもが反乱を起こすのを待っとるらしいんだ」
「え? じゃ、高杉さんはイギリスへ密航して何をするつもりなんです?」
「うん。そこでわしはな……」高杉晋作はまた言いにくそうにしている。「わしは……その……わしも攘夷志士になって、イギリスと交渉しようと思うとる」
「え?」数馬は刀を振り上げた。
「高杉さん。ちょっとお待ちくださいよ。なにを言っているのですか? その、イギリスと交渉するために攘夷志士になるって……」
数馬の剣幕に高杉は目を丸くした。
「わしが、幕府の役人とか藩兵とかを斬ってまわったらダメなのか?」
「当然でしょう!」数馬は叫んだ。
高杉はしばらく無言でいたが、やがて上目遣いに数馬を見ながら言った。
「北添さん、わしな、イギリスと交渉して、なんとか開国してもらおうと思っているのだ」
「だから斬ってまわるんですか?」
「わしはな、こんなやり方でイギリスと対等に話ができるとは思っとらんのだ。おたがいに主張しあい、まとまれなかったら仕方ないけどな」
数馬はまた刀を拭こうとしたが、拭いかけたところでやめた。高杉の話を最後まで聞かねばならないと思ったのだ。
「それで高杉さんは攘夷志士になるんですか?」「まあ、そういうことだ」
「つまり、イギリスに開国してもらうために、イギリスと対等の立場になろうということですね?」
「ま、そういうことだ」高杉は悪びれていない。
数馬は刀の手入れを再開した。刀の刃を仔細に調べながら数馬は言った。
「高杉さん。それはよくないですな」
「え?」高杉は顔を上げた。
「よくないですな」数馬は繰り返した。
「北添さん、なぜ? なぜそう思う?」
数馬は手入れの終わった刀を鞘に納めた。刀を置き、正座したまま高杉と正対した。そして言った。「攘夷運動で殺された人間は、いまのところ十名です」
「え? そんな人数が殺されたんか?」高杉は目を丸くした。
「はい。わたしが見たところ、二十名以上が殺されていると思います」
「二十名以上?」高杉は身を乗り出した。「そりゃ、ちょっと多すぎだな」
「多いです。しかし、これはたぶん氷山の一角でしょう。攘夷運動のために殺された人間は、もっといると思われます」
「氷山の一角って……どういうことだ? 北添さん」
高杉は身を乗り出したままである。
「高杉さん、あなたは人を殺す気でしょう?」数馬の声が厳しくなった。
「え? ああ……」高杉は身体を起こし、居ずまいを正した。
「あなたはイギリス公使館を焼き討ちして、イギリスと交渉するために攘夷志士になると言っているが、それはつまり、イギリスに戦争を仕掛けるということだ」
「まあ……そういうことだな……」高杉はまた上目遣いに数馬を見た。
「しかし、戦争はいかん!」数馬はきっぱりと言った。

高杉晋作