「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(28)東海道、川崎宿にて

数馬は東海道を南に向かって歩いている。品川をでて、次は川崎だ。
刀の柄には柄袋をつけ、左側を歩いている。
武士は左側通行である。そうしないと、すれ違ったときに「鞘当て」といって、お互いの鞘がぶつかって、喧嘩の原因になる。居合道の大会や審査でも、演武者とすれ違うときは左側通行である。

郷川を舟で渡り、川崎宿に差し掛かったときである。「おい、ちょっと」と声をかけられて、振り返ると手招きしている。
武士に声をかけるのは、岡っ引きに決まっている。
「六郷のお番方は、何か事件でもあったのか」と、数馬は言った。
「いいや」
男は、十手を懐にしまいながら言った。
「これは失礼つかまつった」と数馬は頭を下げた。
「お前さんが、辻斬りを捕まえてくれたお人か?」
「さようでござるが……」
数馬が言うと、男は答えた。
「そうか……わしは、川崎宿で与力をつとめている佐伯(さいき)平四郎と申す」
「これは、これは、拙者は浪人の北添数馬と申します」
「これからどこへ向かう?」
「はい、東海道を南へ参るところでござるが……」
「そうか……ところでお前さんの剣さばきだがな……」
佐伯平四郎という男は、気さくに話しかけてきた。この宿場に長く勤めている与力である。
「はあ、それが何か……」
「いや、見事な剣さばきをみせてもらった。ぜひとも御礼を申したいとおもうてな」
「それは、御丁寧に……」
数馬は頭をさげた。
「どうだ。わしの家で一献やらないか。それとも先を急ぐ用事でもあるのかな」
佐伯という男は気さくで、偉ぶったところもなく話しやすい男だ。与力は、武士とちがって身分が低いのだが、この佐伯という男は、まったくそれを感じさせない。
「いや、拙者のほうは急いではおらぬが……」
「そうか、それなら決まりだな」
佐伯の家は、川崎宿本陣に近いところにあった。小さな屋敷だが門構えが立派である。
「さあ、遠慮せずにあがってくれ」
数馬が玄関で履物を脱いでいると女中がやってきて酒肴を運んできた。佐伯平四郎の家族らしい女たちが広間で膳を囲んでいる。
「折入ってご相談なのだが…」
「何でしょう」
「この川崎宿、少々治安が悪くてな。特に風俗が…」
昔も令和の時代も変わっていない。数馬は川崎区に住んでいたのでよく知っている。簡易宿泊所も多い。病院の精神科では、待ち時間にしびれをきらした患者が、診察中に怒鳴り込んでくることもある。
それはさておき…
「さようでござるか……」
「そこでだ、おぬしのような剣の使い手に頼みがあるのだが……」
佐伯は、数馬の気魄のこもった居合をみていて、ぜひとも頼みたいことがあるらしい。
「それはいったいどのような?」
「うむ。じつはな、この川崎宿の治安を何とかしてもらいたいのじゃ」
佐伯は言った。
数馬は酒をすすめられながら話を聞くことにした。
川崎宿東海道と箱根の山をつなぐ街道筋として、往来する旅人が多くてな……」
佐伯は言う。
「それはそうでござるな」と数馬は言った。
「それにな、東海道と箱根の道は、いわば野盗どもの巣窟になっておってな」
「さようでござるか……」
「ああ、人相の悪いやつらが群れているからな。旅人も安心して通ることができないだろう」
佐伯は、そう言って腕を組んだ。
数馬は頷いて酒をひと口飲んだ。
「それで、どうだろうか。お前さん、しばらく宿場で用心棒をやらないか?」
「用心棒でござるか……」
「うむ。そうしてもらえると、こちらとしてもありがたいのだ」
佐伯はそう言って頭を下げた。そして数馬に言った。
「どうだろう。礼ならはずむが……」
数馬はいった。
「お引き受けいたそう」
「これは助かります」
数馬は、佐伯の申し出を受けることにした。
「引き受けてくれるか。それはありがたい」
佐伯は満面に笑みをうかべた。
その笑顔をみて数馬は安心した。この男が頼めば悪い結果にはなるまい……と直感したからだ。
「北添どのは、宿場をうろうろしているだけでもいい。宿場の者たちには拙者から話しておく。時折、宿場の者に声をかけてくれないか。そうすれば宿場の者も安心する」
(それって、「お巡りさん」だな。与力同心の仕事でしょうに。まあいいや、私の居合が役立つなら…)
「そういえば!」と数馬は言った。
「剣術、居合を教えている石室道場はありますか?」
佐伯は「ええ、京町にあります。多くの門弟がいます」
数馬は平成の時代に石室という八段の先生に講習会で教わったことがある。長い刀を操る先生だった。ご先祖がおられるんだな、と数馬は思い、
「佐伯さん、石室道場にもご助力願いましょう」
佐伯平四郎は、うなずきながら酒をすすめた。そして聞いた。
「北添どのは、剣術だけでなく居合も達者と聞いているが?」
(いったい誰から聞いたのだろう?)
と思った数馬だが、石室先生から伝え聞いていたのだろうか……と思い直した。
「まあ、そこそこです」と数馬は答えた。
「そうか……どうか宿場の治安のためにひと肌脱いでくれぬか」
佐伯は「どうか頼む」といって頭を下げた。
「もちろんです。引き受けたからには、必ずや、いい結果を出します」
数馬はそう言って頭を下げた。
こうして数馬はしばらく川崎宿にとどまることになった。

川崎宿歌川広重