「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

(57)北添数馬 外伝「山岡鉄舟、高山へ」

北添数馬は山岡鉄舟に手紙を書いた。幼少期を過ごした飛騨高山に行きませんかと。そして、体育施設を借りるので、無刀流の居合の御指南を…
数日して返事が来た。かなり喜んだようで、是非行こう、ということになった。

上野の西郷さんの銅像の前で待ち合わせである。谷中からも近い。
数馬が銅像の前で待っていると、
「やあやあ!」と声をかけてやってきた。髭を生やし、田中正造みたいだなと思った。羽織袴姿である。さすがに刀は袋に入っている。
「山岡先生、たいへんご無沙汰しております」
山岡鉄舟から居合を教えてもらうので「先生」と呼んだ。
「西郷さんも偉くなったのう。銅像が」
「山岡先生も、高山に銅像があるんですよ」
「俺の銅像が?」
「高山では、いまでも偉業を称えられています」
「それは楽しみじゃ。数馬はいまいくつになった?」
「五十一歳です」
「じゃ、あと二年だな」
ちなみに山岡鉄舟は明治二十一年、五十三歳で亡くなっている。
「縁起でもない… では行きましょう。切符は全て手配してあります」
高山へ行くのは新宿から高速バスに乗ったほうが、便利で安いのだが、鉄道がお好きなので、新幹線と特急列車を使うことにした。

上野駅の中央改札から入る。改札機の使い方を説明する。
「先生、切符をここに入れて、この機械を通過してください」
「駅員が鋏みを入れるのではないのか?」
「いまはこうなんです。切符に情報が記録されるのです」
「ほほう…」
「山岡先生、袴。階段に注意してください。ひっかからないように」
「階段が動いとる!」
エスカレーターです。立ち止まって、手をベルトに置いてください」
山手線と京浜東北線、両方あるが、山手線の電車がやってきたので、それに乗る。
ホームドアが開く。
「これはびっくりだ。プラットホームに扉が、勝手に動いている」
「山岡先生、乗ってください。10分ぐらいで降りるので、立っていきます」
「うむ…」
「この汽車はすごく長いな。何両ぐらいあるのだ?」
「山手線は十一両です。いまは汽車でなくて“電車”なんです。電気で動きます」
「ほう。それにしても汽車より速いな」
「東京に着いたら、もっと速い乗り物に乗ります」
そして東京。新幹線の改札口である。
「先生、切符を二枚、重ねて入れてください。新幹線の特急券と乗車券」
無事に通過したようだ。
「これから東海道新幹線に乗ります。速いですよ。名古屋で高山に行く特急に乗り換えます」
品川・新横浜と停車し、名古屋まで停車しない。「のぞみ」である。
新横浜を出ると、新幹線らしい走りっぷりになってきた。小田原を瞬時に通過する。
「これは速い。景色が見えない。目がまわる… 東海道ということは、富士山はよく見えるかね?」
「日によって違うんですよね… 天気が良くても見えないときがあるんです。朝は比較的見えるそうですよ。私はいつも眠っていますが」
「富士山といえば、清水の次郎長を思い出すな~ 友達じゃった」
「先生、そうですよね。次郎長は先生の勧めで富士山の裾野を開墾したそうで」
「そうじゃ」
「いま、そこは“次郎長町”という地名になっています」
「ほほう。それはいいことじゃ!」
車内販売がやってきたので、ホットコーヒーを二つ注文した。
「先生、暖かいカフェです」
「うん。横浜の喫茶店のカフェより美味しいの」
やがて右手に富士山が見えてきた。
「先生、富士山が見えます。あっという間なのでよく見てください」
山頂がうっすらと隠れているが、見えているほうである。気象条件が悪いと全く見えない。鉄舟は窓に釘付けである。
数馬は通路側に座っている。新幹線に乗るときは、いつも通路側だ。窓側にいると狭苦しく感じるのだ。景色もあまり興味がない。
鉄舟は富士山を見て満足したのか、眠たそうだ。
「先生、名古屋に着く手前で起こしますから」と、座席の倒し方を教えて、眠ってもらった。
(車内放送)“列車はただいま三河安城駅を時刻どおりに通過いたしました。次の名古屋までおよそ9分です”
「先生、もうすぐ名古屋です。起きてください。そして降りる支度を…」
「うむ」
「刀も忘れないで」
「うむ」

名古屋に着いた。まだ時間があるので、「先生、名古屋名物のきしめんを食べましょう。プラットホームで食べられます」と、鉄舟を誘う。券売機の説明が面倒なので、ふつうのきしめんにし、数馬が奢った。
「これは美味い!」
「でしょう。私は名古屋に来たら、ここできしめんを食べるんです」

特急「ひだ」高山行に乗る。
列車の行き先表示に「高山」とある。
「いよいよ高山じゃのう!」
いったん岐阜まで東海道本線を走り、進行方向を変えて高山本線に入る。
「先生、高山本線に入りました」
「やっぱり汽車の旅はいいのう。それにしても座席が快適じゃ。明治の頃とは違うのう」
「ええ、JR東海ご自慢の列車です」
「ジェイアールトウカイ?」
「先生の頃は、鉄道庁、鉄道局、いろいろ呼び方が変わっていますが、国の管轄でしたでしょう。いまは民間がやっています。国が運営している鉄道はひとつもないのです。郵便事業も民間になりました」
「ほほう」

下呂(げろ)を過ぎると、飛騨川沿いに山の中を走っていく。景色が良い。鉄舟は車窓に釘付けである。
しばらく山の中を走り、高山本線で最も長い「宮トンネル」をぬけると、高山盆地の景色が広がる。列車は坂道をカーブしながら駆け下りていく。
「ああ、高山に帰ってきた…」
鉄舟は涙を流している。話を聞いていると、幼少期に高山で過ごしたきりで、それ以来、高山に帰っていないようである。

高山に到着。とりあえず古い町並みを散策する。
「ここは変わっていない。あそこも変わっていない」
どこもそうだが、建物は新しくなっても、道筋は変わっていないものだ。
京都がいい例である。
高山陣屋に行ってみる。
「おお、数馬! 拙者はこの陣屋に住んでおったぞ!」
「そうなんですか!?」
「父が飛騨郡代としてここに赴任してきての。一緒に住んでおった」
広場には山岡鉄舟銅像がある。
「ほら、山岡先生の銅像が!」
「西郷さんより小さいが、まあ、よかろうて!」

十分ほど歩いて宗猷寺(そうゆうじ)である。
ここに鉄舟父母の墓があり、お参りする。

「俺はな、十一歳の頃だったか、鐘を眺めていたら、和尚が『その鐘が欲しければあげましょう』と言った。俺は仲間を集めて、寺の鐘を仲間と降ろそうとした。そうしたら和尚は冗談だったと言う。俺は頑固にそれを聞き入れなかった。鐘は俺の物じゃ!父が話してようやく落着したのだ。わはは!思い出すだけで愉快じゃ」

頑固なのは幼い頃からだったのだ。数馬には気さくに話しかけてくるが…

見るものを見たので、居合である。タクシーを捕まえて、体育施設に向かう。これは数馬が予約した。
「この馬車も速いのう」
「タクシーと言います。お金を払えばどこでも連れていってくれますよ」
「これで東京に戻れるかの…?」
「はい。小判にすると5両ぐらいだと思います」

体育施設に着いた。手続きを終えて、中に入る。鉄舟が一礼するので、数馬も礼をする。
道場でなくても、武道をやる場所では礼をしなければならない。
数馬は居合道着に着替える。鉄舟は羽織を脱いで、そのままだ。

「数馬! 居合は常在戦場、そして人生だ。よく心得ておけ!」
「はい!」
「では、無刀流の稽古をはじめる。まず正座しなさい」
「はい」
刀を右に置き、正座をする。
「まず、抜き付けじゃ!」
「はい」
刀礼をして、帯刀する。
そして抜刀する。
「う~ん、もう一度」
「はい」
「おぬしは北添道場の師範だったろうが! どうした! 北添!」
「はい」
あ~、始まった。やっぱり厳しい…!
「次は素振りじゃ。立ちなさい」
「はい」
「振ってみて」
「はい」
「まずまずじゃのう。もう一度」
「はい」
「天井を箒で掃くように」
「はい」
「うむ、よろしい!」


(完)

晩年の山岡鉄舟