「数馬居合伝2」

北添数馬と申します。令和から江戸時代に行ってしまい、居合で江戸時代を生きていく物語です。

あとがき

北添数馬のモデルは、もちろん私です。幕末で会いたい人物に会い、こんな体験ができたらいいなと思いながら、自分で書いていて、居合道について考えさせられました。最期は居合神社で演武をして、帰らぬ人となります。北添数馬は幸せだったと思います。
居合神社の振武館は明治時代にあったかどうか分かりませんが、もしあったら、こうだったろうなと思って書きました。楯岡駅は、現在の村山駅で、山形新幹線が停車します。そこからタクシーで約十分で居合神社に到着します。居合神社の隣に「村山居合振武館」があって、事前に申し込めば、どなたでも利用できるようになっております。宿泊もできますので、是非、居合の聖地で居合道を堪能してください。令和6年現在ですが、「村山市居合道体験」というプログラムがあり、村山居合振武館で、どなたでも居合道を体験できるようになってます。ぜひ、北添数馬の気持ちに近づいてみてください。

(あとがき・その2)
書いていて思ったことですが… 刀は幕末では活躍するのですが、明治を迎えると、急速に出番が無くなります。西南戦争で使ったぐらいです。幕末でも、実戦で使うことは少なく、ほとんどが「腕前を見せて」といった類でした。
十年ほど前、幕末史跡の紀行文を書きました。今回はそれに登場しなかった人物を中心にとりあげることにしました。例えば山岡鉄舟です。山岡鉄舟は私が幕末・維新で一番尊敬している人物なのですが、書く機会がありませんでした。
山岡鉄舟を汽車に乗せてみました。履物をプラットホームで脱いで乗車します。鉄道創業のときはよくある光景だったそうで、山岡鉄舟にもやってみました。道場の顧問になってもらったり、山岡鉄舟に関しては、存分に書くことができました。
福沢諭吉も紀行文には書きにくい人物です。今回は、若い頃はこうだっただろう、と思い、書いてみました。晩年の福沢諭吉は、毎日居合を一千回、抜いていたそうです。
これは著者の「夢物語」です。詳細な考証はしていません。最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
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◆参考文献◆
全日本剣道連盟居合(解説)』財団法人全日本剣道連盟
夢想神伝流居合道』山蔦重吉
『地図で訪ねる歴史の舞台-日本-』帝国書院
『若旅 WAKATABI~週末 歴さんぽ~』高枝景水
『小野崎一徳写真帖 足尾銅山』小野崎敏

居合道用の名札です。