北添数馬の刀は西南戦争で、人を斬り、西郷の首を刎ねた。
刀には刃こぼれがいくつかある。
研ぎに出さねば…
研ぎ師に刀を持って行った。
研ぎ師が確かめる。
「まだ使えますよ」
「もう、刀を研いでくれる者もおらぬ。この刀は人を殺めすぎた。研ぎ代はいくらだ?」
「いや、これは研げません」
研ぎ師は首を振る。
「なぜだ!」
数馬は驚いて聞いた。
研げないはずはない。
しかし、研ぎ師は答えた。
「刃こぼれではありません……欠けています」
…………え……
研ぎ師は刀をひっくり返す。
「欠けております。研ぎようがない」
数馬は苦笑いをした。
(いや、これは俺の心が欠けているのだ)
人を殺めた数馬の心は欠けていたのだろう。
もう戻れぬほどの人斬りをしてしまったのだ。
西南戦争で。
心を研ぐには……一度心を捨てねばなるまい。
(西郷さん……すまなかったな)
研ぎ師に断られたことによって、数馬は人格・人生が否定されている気持ちになった。
それにしても…
明治維新を境にして、友達が激減したと感じている。
朝顔の侍は何をしているんだろう。黒田武士の佐々木さん、喘息大丈夫かなあ。口入屋の主人は… 仇討ちの助太刀を頼まれたこともあったなあ。
山岡鉄舟が変わらないお付き合いをしてくれているのが、せめてもの救いとなっている。
また鉄さんを誘って汽車の旅に出かけるか… でも鉄さんは、忙しいからなあ…
この悩みを聞いてくれる人は…
数馬は思い出した。人形町にあった、町火消の「ろ組」である。そこには「よろづ相談処」という看板があった。いまでも相談に乗ってくれるだろうか…
その場所に行ってみると「よろづ相談処」の看板を掲げた建物があった。
「こんにちは。北添数馬です」
と建物の中に入ると、ろ組の頭(かしら)ご夫妻がいた。
「おうおう!カズさん!久しぶりだねえ」(※「(13)ろ組の用心棒」参照)
聞くところによると、町火消は無くなったものの、相談所は続けているのだという。いったん相談を受けて、解決できない場合はしかるべき専門機関につないでいるとのこと。令和でいうNPOのようなことをやっているらしい。
頭は、
「よく来てくれたね、カズさん。何か相談事かい? あの看板ね、徳川吉宗公が町火消を作ったときに書いたそうなんだ。だから大切にしているよ。もちろんこのとおり、今でも何でも相談所」
数馬は、頭(かしら)に西郷の首を刎ねたこと、いま悩んでいることを打ち明けた。頭は、否定せず、ただ頷きながら聞いた。
「カズさん。人生は“出会いと別れの繰り返し”だと思うよ」
続けて、
「カズさんは、西郷さんの首を刎ねたことを後悔している。俺は刀のことはよく分からないけど、武士の魂って言うだろ。つまり、西郷さんの魂はカズさんの刀に宿っている、そう思うよ。研ぎ師はどう思ったか知らないけど、これは研いではいけない刀だと思ったのではないかね。断られて良かったんだよ。綺麗に研いでしまったら、魂もきれいに消えてしまう。カズさん、その刀は大事にしなくちゃ。生涯、刀と一緒に暮らすんだ。カズさんの魂はもちろんのこと、西郷さんの魂を消さないためにもね。刀と一緒に天寿を全うする、亡くなった人の分も生きる。これが大切だと思うよ、俺は」
数馬は涙目になり、鼻水をすすりながら、
「頭…、私は… 私は…」
「カズさん、鉄舟さんが匿ってくれたんだろ。いい友達がいるじゃないか。もちろん俺だって友達だと思っているよ」
「頭… 私は… 私は……」
「泣きたいときは思いっきり泣けばいいんだよ。そのほうがかえって気持ちがすっきりするさ」
「頭… 私は… 私は……」
「カズさん、一つだけ言っておく。自害だけは許さないからな! 来週、一緒に酒でも飲もう。麹町(こうじまち)にいい店があるからさ。奢るよ」
頭は相談を受けながら考えていた。こうして何か約束事をすれば、自害はしないだろうと…… 数馬は友達を裏切らないだろうと……
※(13)ろ組の用心棒 https://kazuma4813.hateblo.jp/entry/2024/01/19/012324